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川嶋 亨|故郷、能登半島を小さな世界都市に

川嶋 亨(日本の宿のと楽 割烹 宵待 料理長)2018 Finalist インタビュー

INTERVIEW 2019.04.17

「RED U-35」への2度目の挑戦で見事ゴールドエッグを獲得した川嶋亨氏。故郷能登への想いをひときわ大きな声で表現し、大会のムードメーカーとしても存在感を示してみせた。それもそのはず、川嶋氏はキャプテンとして甲子園を目指した元高校球児。しかも、キャッチャーで4番と、まさにチームの大黒柱だった。その経験ゆえだろう。選手の控え室では、その明るいキャラクターで、ライバルたちの緊張をほぐす配慮を見せる一幕も。人懐っこく、誰からも愛される人物。それが川嶋氏だ。そんな氏の夢は、やはり甲子園のように大きなものだった。

日本料理人の父をもつ川嶋亨氏は、幼いころから大の和食好きだった。もし、自分が料理人になるならフランス料理でも中国料理でもない、日本料理しかないと思っていたと言う。調理師専門学校を卒業すると、野球漬けの日々で培った忍耐と努力を武器にひたすら腕を磨いた。

「修行先にはすごく恵まれていたと思います。大阪の老舗『割烹 錦水』では、徹底的に基礎を叩き込まれましたし、同じく大阪の『老松喜多川』では、『錦水』とは趣の異なる華やかな日本料理を学べました。そして美意識が高く極上の出汁で知られる京都の『桜田』では、煮方を経験させてもらえました。それぞれの店の親方には本当に感謝しています」。

有名店で力を付けた川嶋氏は、再び大阪に戻り、ミシュラン1つ星の「居酒屋ながほり」の料理長に就任し、料理のみならず接客や経営、ドリンク類についても学んだ。まさに順風満帆の料理人人生である。だが、川嶋氏の心にひとつだけ気がかりなことがあった。それは故郷、石川県七尾市のある能登半島の過疎化だった。

「2011年に『能登の里山里海』が世界農業遺産に認定されたこともあり、能登が発展していく様を想像して喜んでいたんです。ところが、しばらくするとどうも様子がちがう。生産者の後継者不足をはじめとした問題が解決しないばかりか、むしろどんどん大きくなっていく。そんな状況を見聞きしているうちに、自分はこのまま大阪人になってしまっていいのかと自問するようになりました」。

悩んだ末、故郷に戻る決心をした川嶋氏は、実家のすぐそばにある「日本の宿のと楽 割烹 宵待」の料理長に就き、地元再興のために尽力するようになる。店で地元食材を使うだけでなく、生産者とイベントを企画し、自らメディアにも出演して、食材をアピールした。そんな川嶋氏が「RED U-35」に出場して、能登が直面する問題や土地の魅力をアピールするようになったのは必然だったのかもしれない。誰よりも熱心に地元愛を語る姿は、多くの人の記憶に残ったはずだ。

「生まれ故郷だから、そう思うだけかもしれませんが、やはり僕は能登に暮らす人びとが好きなんです。だって、本当に温かいですもん。だからこそ良質の食材も生まれるんですよ。料理人の僕がRED U-35でできることは、能登の素晴らしさを精一杯アピールすることでした。僕が故郷で料理人を続けられるのも、地元の人たちのおかげですから」。

だからこそ、川嶋氏は、料理審査で能登の食材を使い、地元の魅力を発信し続けた。そして「未来の料理人に伝えたいこと」というテーマで行われた最終審査の公開授業では、「人と人とのつながりを大切に、料理を通して地域に貢献できる人間であれ」と熱く語った。

「修行時代、僕は親方に、“料理は心、料理人は人間力が大事だ”、と教えられたんです。その言葉を今も大切にしています」。

大会を終えた今、川嶋氏はとても清々しい気持ちだと言う。

「決勝で敗れたはずなのに、実はなんだか勝ったような充実感を味わっているんです。そう思えるくらいの貴重な経験ができました。とくに意識の高い同世代の料理人と仲間になれたことが一番の財産です」。

都市部で活躍する同世代に刺激を受け、自分はまだまだ地方の強みを生かせるのではないかと考えるに至った川嶋氏は、今、独立に向けて準備中だ。店の構想を尋ねると、その声はいっそう大きくなった。

「地元、七尾市でカウンターのある日本料理店をオープンさせる予定です。お客さまとの会話を楽しみながら、生産者の顔が見えてくるような、素材の良さをシンプルな料理でダイレクトに伝える店にしたいですね。そのためには、料理をただ提供するだけではなく、たとえばその野菜が、どのような人がどのような場所でつくっているのかをお客さまにしっかりと伝えること。そうすることで、食材やこの土地に興味をもっていただき、またここに食べに来たいと思ってもらえるように。若い人たちに『川嶋にできるなら、自分も地方でできるんじゃないか』と思ってもらえたらいいなという想いもあります。僕が料理人を引退するころには、この能登を若い料理人でいっぱいにしたいんです。七尾周辺が人も文化も活気にあふれた“小さな世界都市”になっていたらうれしいですね。こうした能登の盛り上がりが、他の地方にも波及することで、日本全体の元気に繋がると思っています。そんな“食”の可能性を僕は信じています」。

川嶋氏は、これからも地方の料理人のあるべき姿を提示し続けるだろう。彼のように前向きな料理人こそが、明るい食の未来を築いていくにちがいない。

*Author|RED U-35編集部(MOJI COMPANY)

プロフィール

川嶋 亨(日本の宿のと楽 割烹 宵待 料理長)

1984年、石川県生まれ。短大を卒業後、調理師専門学校に入学。卒業後、大阪と京都の日本料理店で腕を磨き、「居酒屋ながほり」(大阪府)、「日本の宿のと楽 割烹 宵待」(石川県)では料理長を歴任。2019年4月現在、生まれ故郷、石川県七尾市で独立準備中。

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