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立岩幸四郎|中国料理の未来を拓く確かな技術

立岩 幸四郎(Wakiya一笑美茶樓 料理人)2018 Finalist インタビュー

INTERVIEW 2019.04.23

的確な調理技術と誠実な人間性が評価され、見事、「RED U-35 2018」の準グランプリに輝いた立岩幸四郎氏。その人柄は、謙虚のひとことに尽きる。料理人としてのこれまで氏の歩みからは、けっして驕ることなく、鍛錬に励んできたことが透けて見える。初心を忘れず、常に冷静に仕事をこなす寡黙な料理人、それが立岩氏だ。

中華料理店でのアルバイトをきっかけに中国料理の料理人を目指すようになった立岩氏は、調理師専門学校卒業後に上京し、あこがれだった中国料理の巨匠、脇屋友詞氏(「Wakiya一笑美茶樓」オーナーシェフ)の店の門を叩いた。以来、脇屋氏の店一筋15年。

立岩氏は、入店当初をこう振り返る。

「社長の脇屋は雲の上の存在。厨房に入ってくると、オーラで現場がビシッと引き締まるんです。当時はただただすごい人だなぁと」。

そんな脇屋氏の店でいずれは料理長になるという目標を掲げ、基礎をしっかり固めていこうと決めた。意識したのは、仕事の正確さとスピードだ。

「どんな食材でも、納得するまで扱い方を練習します。その積み重ねこそが成長の糧であると信じて。とにかく必死でした。丸鶏を部位ごとに切り分ける練習を毎日2羽ずつ、半年間ほど続けていた3年目のある日、当時の副料理長に、今のお前と鶏をさばく勝負をしたら、勝てないなぁと言われたことを覚えています。すごくうれしかったですね」。

こうして着実に力をつけていった立岩氏が、「RED U-35」の出場を意識したのは、同期である福嶋拓氏が出場した第2回大会(2014年)にサポートとして同行したとき。

「人間性まで評価されるのが、この大会の大きな特徴です。その雰囲気を肌で感じたことで、技術、知識、立ち居振る舞い、すべての面において自分の実力不足を認識しました」。

それから数年間さらに経験を積み、満を持して立岩氏が同大会に出場したのは2017年。だが、結果はシルバーエッグ。過去に出場した先輩はゴールドエッグだっただけに、悔しさを噛み締め、もう一度自分を見つめ直した。そしてゴールドエッグを目標にして挑んだ2018年大会。2度目の挑戦で、見事、ゴールドエッグを獲得。準グランプリにも輝いた。

「店の営業終了後も休日も、すべて練習に費やしました。誰よりも練習してきましたから料理技術では絶対に負けないという自信はありました。おかげで緊張することなく本番に臨めました。終わったときは、すべてをやり尽くしたという気持ちで一杯。目標を達成できたこと、準グランプリをいただけたことは、素直にうれしかったですね。『挑戦しなければ何もはじまらない』という小山薫堂さん(RED U-35総合プロデューサー)の言葉、本当にそのとおりだと思います。大会では普段の仕事ではできないようなことも経験できましたし、そこで出会った同世代の仲間は、この先さらにかけがえのない存在になっていくと思います」。

大会に出場することで、自分が料理人として表現したいこともさらに明確になったという。

「僕は本当に中国料理が大好きなんです。大胆な大皿料理があったり、繊細な味わいの点心があったり、多彩な伝統技術があったり、実に奥深いんです。この料理の魅力をさらに多くの人に伝えたい。今はその一心です」。

そのための課題も、大会中に与えてもらった。忘れられないのは、三次審査の面談で言われた審査員、黒木純氏(「くろぎ」主人)の言葉だ。

「黒木さんに『あなたの師匠である脇屋さんは、フランス料理の要素を取り入れるなどして、中国料理の歴史を10年早めたと言われています。あなたがそう言われるために何をしますか?』と質問されて、言葉に詰まってしまったんです。その答えを大会が終わってからもずっと考え続けています」。

決意みなぎる目でそう語る立岩氏は現在、「Wakiya一笑美茶樓」の主任を務めている。「RED U-35」の経験を糧に、料理長という目標に向けて、これからも着実に成長を遂げていくにちがいない。

*Author|RED U-35編集部(MOJI COMPANY)

プロフィール

立岩幸四郎(Wakiya一笑美茶樓 料理人)

1985年、兵庫県生まれ。野球とラグビーに打ち込む少年時代を過ごしていたが、中華料理屋でアルバイトしたことがきっかけで、料理人を志す。調理師専門学校卒業後、脇屋友詞氏に師事。同氏が経営する店舗にて腕を磨き続け、2019年で16年目。

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