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挑戦を“エンジョイ”してほしい

和久田 哲也(Tetsuya's オーナーシェフ)

INTERVIEW 2019.07.25

オーストラリアNo.1シェフの称号を2度獲得するなど、現地でもっとも有名な日本人シェフとして知られる和久田哲也氏。その独創的な料理は「フレンチ・ジャパニーズ」、あるいは「モダン・オーストラリア料理」と称され、世界で高く評価されている。そんな和久田氏に、審査に臨む心境をうかがった。



——多彩なジャンルの料理人が参加し、料理の技術のみならず人間力をも審査対象とする「RED U-35」は、世界の料理界においてもユニークな存在かと思われます。そんな大会の審査員に就任された現在の心境を教えてください。

この度、「RED U-35」の審査員のお話をいただいたことを、大変光栄に思っています。僕は、オーストラリアに渡って以来、海外をベースに料理人として仕事をしてきました。

料理コンペティションの審査員を務めたこともありましたが、それらはすべて海外の大会でした。つまり、日本の大会で、しかも日本の若い料理人を審査するのは初めてのこと。これは僕自身にとっても、エキサイティングな経験になるでしょう。

——料理人にとっての20代、30代はどのような時期だとお考えでしょうか? 22歳でなんの伝手もないままにオーストラリアに渡り、現在のキャリアを築かれた和久田さんご自身の経験を振り返りつつ、大会に出場する若手料理人へのアドバイスをお願いします。

僕はそもそも料理人になるつもりで、オーストラリアに渡ったわけではありません。借りた部屋の家主に「英語が勉強できる学校を紹介してほしい」と相談したところ、近くのレストランの皿洗いのアルバイトを紹介されたことがすべてのはじまり。そこから出会いにも恵まれて、料理人となり、自分の店を開くまでになりました。

本当に運が良かったんです。27歳のときに仲間との共同出資で初めてレストランを開き、29歳のときに「Tetsuya’s」をオープンさせました。振り返ると、僕の20代、30代は、雑念を捨て、ありったけの情熱を傾けて己の信じる道を突き進む時期だったのかなと思います。

今は昔に比べて多くの情報があふれていますし、流行もめまぐるしく変化しますが、自分のスタイルに自信をもち、ぶれないことが大事です。僕は修行時代からあらゆるレストランを食べ歩き、これぞというお店では恥も外聞もなく教えを請いました。なぜこの料理はおいしいのか、なぜこのレストランは繁盛しているのだろうか……。日々そんなことを考えながら、自分の進むべき道を模索していました。



——審査員として、挑戦者たちに期待すること、審査するにあたり重視するポイントを教えてください。

料理に誠実であってほしいと願っています。つまり、吟味した食材に対して、妥協することなく真摯に向き合えているかどうか。僕の店には、大まかなレシピはありますが、そこには火入れの時間や調味料のグラム数などの細かな数値は書かれていません。

大切なのは、食材の状態を見極めて、その都度、細かな調整を加えること。それなくして進化はありません。そうした基本がしっかりとした上で表現される個性に注目したいです。オリジナリティーがあり、なおかつ「おっ、これは!」と唸らせる絶対的な美味しさに出会えることを期待しています。

——最後に、大会に出場する選手たちにエールをお願いします。

海外では日本人料理人は引く手数多ですから、しっかりとしたスキルがあれば、どこでも成功するはずです。ただ、何をもって成功とするのかは、人それぞれでしょう。お店を繁盛させること、お客さんに喜んでもらうこと、お金をたくさん稼ぐこと、多店舗展開することなど、いろいろな成功の形があるかもしれませんが、こうした先々のことを今の若い料理人は考えすぎている気がします。

僕はレストランをオープンさせた当初、お世話になったお客さんにこう言われました。
「君の料理はおいしい。このまま信じる道を突き進めば、地位や名誉はもちろん、幸運だって後からついてくる」と。

僕はこの言葉を胸にひたすら料理と向き合ってきました。料理が「好き」なので、これまで辛いと思ったことは一度もありません。本当にないんですよ。ですから、選手のみなさんも、あれこれ考えすぎずに「好き」という想いを大切にして、「REU U-35」への挑戦を、ぜひ“エンジョイ”してもらいたいですね。

*Author|RED U-35編集部(MOJI COMPANY)

プロフィール

和久田 哲也(Tetsuya's オーナーシェフ)

1959年、静岡県浜松市生まれ。22歳で単身オーストラリアへ渡り、偶然紹介されたレストランで皿洗いのアルバイトをはじめたことをきっかけに、料理の世界に入る。その後、「オーストラリア料理界の父」とも称されるトニー・ビルソン氏のもとで腕を磨き、29歳で、レストラン「Tetsuya’s」をオープン。2010年には、シンガポールの総合リゾートホテル「マリーナ・ベイ・サンズ」にレストラン「WAKU-GHIN」をオープンさせる。「世界のベストレストラン50」の上位にランクインされ、オーストラリアNo.1シェフの称号を2度獲得するなど、その料理は世界的に高く評価され、オーストラリアでもっとも有名な日本人シェフとして知られる。

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