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一年草と桜の木。料理人は、一生涯の職業である

高澤義明(レストラン「タカザワ」オーナーシェフ)

INTERVIEW 2013.10.11

2013年、「Asia Best Restaurant 50」にも選ばれたレストラン『タカザワ』のオーナーシェフ高澤義明氏。05年に、29歳という若さで前身である『アロニア・ド・タカザワ』を開業し、 多くのゲストへ斬新な料理の数々をサービスし続けてきた氏に、今回メッセージをいただいた。

 

高澤シェフの原点「料理人は遅咲きの職業」

 

——高澤シェフは、今回のRED U-35の対象である若手時代、どのようなことをされていましたか。

 

私の場合は、今の「タカザワ」の前身であるレストラン「アロニア・ド・タカザワ」を開業して数年が経ったころ、苦労とやりがいの中で毎日を過ごしていました。両親や親戚を含め、周囲が料理人の家系だったので、料理人という職業を選んだことや、お店を持つこと自体はとても自然なことだったんです。開業と同時に色んな縁があり、お客さまはいらしてくださっていたのですが、大変だったのがスタッフの問題でした。「アロニア」=「誰も知らない奇跡の果実」を自身に投影して、内に秘めたポテンシャルを信じ、特に告知などを行わないままスタートしたお店だったので、妻と家族に手伝ってもらいながら、いつも営業後は夜中の3時、4時までグラスを磨き、そこから店に泊まり込んで朝方築地に食材の調達へ向かうといった日々でしたね。

 

——しんどさや、辛さなどはなかったのですか。

 

もちろんありましたし、今でもしんどいと思うことはあります。ただそこは、負けず嫌いな性格が幸いしているのではないでしょうか。
実は若くとがっていた時期に開業したので、色々なことを周囲から言われたこともあったのですが、今思うとそれもバネになっているんだと思います。あとはよく花に例えて言うのですが、「調理人というのは遅咲きの職業である」ということを、いつの間にか理解しながら、辛い時期を耐え忍んでいたんだと思います。

 

一年草と桜の木の幹

 

——「調理人は遅咲きの職業である」とはどういったことか、少し伺えますか。

 

ここは仕事に対する考え方にも関わってくる部分なんですが、最近若い人の業界離れ、人材不足が叫ばれていますよね。私は、理由は非常に簡単で、「隣の芝は青く見える」という言葉があるように、周囲と自分の環境を目に見えるものだけで比較してしまって、本当はそれほどでもないのに、いつの間にか自分のことを恵まれていないと決め付けてしまってるんだと思います。確かに働くうえで給料や休みといったものは大切です。しかし職業にはそれぞれ芽吹く時期というものがあり、料理人という仕事は、アスリートや芸能人のように、限られた時間で鮮やかな花を咲かす一年草のような存在ではなく、経験と感性を磨くことで生涯商売を続けられる、桜の木の幹のように息の長い職種です。多くの方がここに気付かず、業界を去ってしまっている現状。これは本当にもったいないことだと思います。私は幸いにもそこに気付くことができましたが、誰しもゴールを持つことで、今の自分に何が必要なのかを考え、理解することができるのではないでしょうか。

 

目標とタイミング「今かかない汗は、将来の涙にかわる」

 

——ではここで、高澤シェフの考える30代前半までの仕事への取り組み方を伺えますか。

 

まずゴールや目標を定めるところから、内面や外的な部分に変化が訪れるのではないでしょうか。そこにはもちろん覚悟や想いといった要素が欠かせません。そして目標に対してどんなルートで、どれ位のスピードで登っていくのかは、人それぞれで構わないと思います。私の場合はとにかく早く独立したかったので、急な階段を駆け上っていったような感じでしたが、全員がそうである必要はありません。大事なのは、今日、明日だけに焦点を当てることではなく、最後まで坂を登っていく継続する力です。

 

——少しずつでも進みつづければ、いつかゴールすることができますね。

 

そうです。やり続けないことには、その先も何もありません。ただここで加えておきたいのが、人間は誰しも必ず衰えます。よく昔の人が、「今かかない汗は、将来涙に変わる」と言いましたが、物事には「成すべきとき」というものがあり、料理人に限らず20代から30代前半にかけての時期というのが、人生で最も体力や気力の充実しているときなのです。そこで何もせず目標を先送りにしてしまうと、結局何ひとつ出来ないまま、ただ年齢を重ねてしまう。そうなってからでは手遅れなんです。ですから若い方々にも、将来流す涙が後悔からくるようなことがないよう、一分一秒を大切に、今を必死に過ごして欲しいです。
料理人は、恵まれた職業である

 

——シェフご自身、料理人という仕事をどのように捉えているのですか。

 

料理人という仕事は本当に恵まれた仕事であると、私は常々思っています。プロのスポーツ選手や普通のサラリーマンであれば、引退であったり定年であったり、いつか仕事から離れる時期が訪れますから、その時を迎えるまでに、ある意味一生の蓄えをしておかなければならない。しかし料理人は、自分の体力が続く限り、包丁と腕一本でいつまでも働き続けられる本当に息の長い仕事です。そしてその仕事の中で、普通の人ではまず出会うことのないような機会に多く巡り合う可能性を秘めています。それは例えば希少性の高いワインや食材であったり、時には人、そして特別なシーンといった様々なものです。名を挙げて周囲の方とのつながりを構築することで、憧れの地へ赴く機会もあるかもしれません。また、自身の五感を用いて、それを食材や料理、店舗の内装を通じて他者へと発信する、こんなにクリエイティブでやりがいのある仕事は他にありません。

 

——それでは最後に若手へのメッセージをお願いいたします。

 

私たちは言葉ではなく、料理を通じて人々と通じ合い、お互いを理解していくことが大切です。ただ、そこは料理人だからといって、食材や技術ばかりを追いかけるだけではいけません。やはりサービス業ですから、色々な側面を通じて関わる人々と分かり合い、時には楽しませることが求められる。そのためには多くの知識や経験が必要ですが、何も特別なことをする必要はありません。ただ毎日目にするもの、肌で感じるもの、それらを常に料理に結びつけて考えること。そうすれば、夢の中でもイメージは生まれてくるものです。
また、積極的に生産者の方々と触れ合う機会を設けて下さい。私たちは食材を提供して下さる方がいて、初めてお客様に料理を届けられるわけですから、その方々の思いを理解して食材に対峙しなければ、本当に良いものは、提供できません。

プロフィール

高澤義明(レストラン「タカザワ」オーナーシェフ)

1976年東京生まれ。料理専門学校卒業後、ホテルやレストラン、焼き鳥などジャンルにとらわれず様々な場所で修業を重ねる。2005年、1日2組限定という”オートクチュール・レストラン”『アロニア・ド・タカザワ』をオープン。12年5月、「アロニア」=「誰も知らない奇跡の果実」という冠を外し、『タカザワ』としてリニューアルオープン。今も日々世界のありとあらゆる要素を盛り込んだ最先端の料理を提供し、数多くの美食家をうならせている。世界の料理学会への招待は絶えず、アメリカで『人生を変える世界のトップレストラン10軒』や今年「Asia Best Restaurant50」のオーナーシェフにも選ばれた実績を誇る。また、次世代の指導・育成にも積極的で、新宿調理師専門学校の外来教授陣である。

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