RED U-35RED U-35

メニュー

目標を明確に、キャリアを逆算して計画をたてる

岸田周三(「カンテサンス」オーナーシェフ)

INTERVIEW 2014.07.09

「ミシュランガイド 東京・横浜・湘南2014」において、日本人オーナーシェフとして、フレンチで唯一、三ツ星に選ばれているのが「カンテサンス」の岸田周三氏である。 国内で修業後、26歳で渡仏し、30歳でパスカル・バルボ氏の「アストランス」のスーシェフに就任。帰国後の2006年に「カンテサンス」をオープンすると、翌年にはミシュラン3ツ星を獲得——。 順風満帆にもみえる軌跡の裏には、先を見据えた計画性と抜群の行動力、そして熱い想いがあった。そんな岸田氏に、未来の料理人たちへのメッセージをいただいた。

 

努力している人間は必ず報われる

 

——地元のレストランから修業をはじめていらっしゃいます。そこには何か特別な想いがあったのでしょうか?

 

地元愛知県の専門学校を卒業後、最初に就職したのは、高橋忠之氏が当時総料理長を務めていた志摩観光ホテルの「ラ・メール」です。理由は、高橋シェフへの憧れがあったことと、自分が生まれ育った同じ東海地方の土地の風土、食文化、地域性を知るべきだと考えたから。いきなり東京やフランスに出て行くよりも、まずは自分のアイデンティティが形成された地域のお店で働きたかったのです。

 

——そこから「カーエム」に移られた理由は?

 

高橋シェフは伊勢エビやアワビなど地元の食材を大事にされる方でしたので、それらを扱う技術も限定的にならざるを得ません。羊も触ったこともなければ、見たこともなく、さばき方も知りませんでしたので、料理人としての引き出しの少なさに焦りを感じていました。ある時期、休日のたびに東京に出かけ、自分に足りないものは何か、何を吸収すべきかを考えながら食べ歩きをしていました。そこで出会ったのが当時恵比寿にあった「カーエム」です。シェフである宮代潔氏は、フランス料理の教科書からそのまま抜け出してきたかのように古典を大事にされている方。そこには、「まずは古典をしっかりと学ぶべきだ」という結論に至った僕が当時求めていた理想がありました。ここで学んだことは、今の僕のスタイルを支える土台となっています。

 

——当時は何を目標にされていましたか?

 

ひとつの指針としていたのは、高橋シェフに常々言われていた「30歳までにシェフにならなければ先はない」という言葉です。上京当時22歳でしたから、30歳まで残り8年しかありません。まずはそこから逆算して計画を立てました。フランス料理を志すからには本場で修業しておくべきだろうし、少なくとも3年くらいはいろいろと見て回りたいと思っていたので、遅くとも27歳までには渡仏していなければなりません。ならば語学の勉強は24歳くらいで始めておきたい……。この計画通り24歳くらいで、語学学校に通いフランス語の勉強を始めました。

 

——それは随分用意周到ですね。

 

人間は何の目標もなく、ただ漠然と努力することなんてできませんよね。目標は具体的であればあるほどいい。たとえば自分のお店「カンテサンス」をつくる時には、料理はもちろん、お店の場所や内装、それに価格帯やスタッフたちの導線にいたるまで明確なヴィジョンがありました。そうすることで自分に足りないもの―—それはお金だったり、人材だったりするかもしれません―—があぶり出され、そこではじめて目標に向かう道筋ができるわけです。

 

——事前に語学を習得してから渡仏する料理人は少ないと思われますが、なぜそうした準備が必要だと考えたのでしょうか?

 

もちろん、現地で働きながらでも言葉を学ぶことはできるでしょう。しかし、シェフやスタッフたちとの密なコミュニケーションをとれるようになるまでにはかなりの時間がかかります。その時間のロスがもったいないと思ったんです。もちろん、当初、スラングが飛び交う現場ではよくわからないところもありましたが、自分の言いたいことを主張することはできました。

 

——言葉の不安は無かったかと思われますが、海外で働くということについての不安はありませんでしたか?

 

不安はもちろんありましたが、前に進まなくては何も始まりません。自分に足りないものがわかれば、それもひとつの収穫だろうと。それに、技術的にはどこにいっても通用すると思っていましたので、その面では不安はそれほどありませんでした。カーエムでの4年間は大変厳しく、誰よりも働いていたという自負もありましたし、仕事に打ち込んでいましたから。

 

——技術的には相当の自信をもっておられたのですね。実際、フランスでの手応えはいかがでしたか?

 

いろんな人や店に出会いましたが、一番の大きな収穫は、当時一ツ星だった「アストランス」のシェフ、パスカル・バルボに出会えたこと。その前は、三ツ星のお店に在籍していましたが、やはり自分が尊敬できる方のもとで働きたいと、お店を移りました。本当にフランスに来てよかったと思えたのはその時が初めてかもしれません。

 

——その「アストランス」において、当初の計画どおり30歳でスーシェフに昇進されたわけですが、一番苦労されたところは?

 

もちろん日々いろんな苦労がありましたが、みなモチベーションの高いスタッフばかりでしたので、乗り越えることができました。それもそのはずで、当時ともに働いていた人たちは今や、スウェーデンやシンガポールなど各国のトップスターシェフになっています。スタッフには本当に恵まれていました。いいお店にはいいスタッフが集まるものなのかもしれませんね。

 

——岸田シェフのように、フランスなど本場で過ごす時間を実り多いものにするために、最も大事なポイントとは?

 

やはり語学力を含めたコミュニケーション力ですね。ただ言われた仕事をこなすだけなら、言葉が不自由でもなんとかなるかもしれません。しかし、それを修業とは呼べないでしょう。修業である以上、人から何かを吸収しなきゃいけない。そのためには、相手の懐に飛び込むための人間性も必要になります。シェフをはじめ周囲との相互理解を深めることなく、ただもくもくと仕事をこなすだけでは、得る物は少ないと思っています。うちのスタッフをみていても、コミュニケーションの上手な人ほど、技術やセンスなどをいち早く吸収していきます。すべてをゼロからつくりだせる天才なら話は別ですが、ほとんどの人はそうではありません。シェフや他のスタッフ、お客様からさまざまなものを吸収し、料理人としての自己が形成されるわけですから。

 

——フランスでスーシェフに抜擢され、一ツ星だった「アストランス」を二ツ星に。帰国後に「カンテサンス」をオープンさせ、翌年にはミシュラン三ツ星を獲得されています。傍目にはトントン拍子の、順風満帆のキャリアにもみえますが、ご自身ではどのようにお考えですか?

 

たしかに見方によってはそのように見えるかもしれません。でも、自分ではトントン拍子だなんて思ったことは一度もありません。いつ巡ってくるかわからないチャンスをものにするために、常に十分な準備をしておく必要があると思います。「カンテサンス」はオープン約1年で三ツ星を獲得しましたが、帰国当時の日本にはまだミシュランは上陸していませんでした。それでも、ミシュランの三ツ星を獲得するような“日本から世界に発信する”お店をコンセプトに掲げ、準備を進めていました。たとえばこの「RED U-35」というコンペティションも、大きなチャンスです。目指すべき料理人としての将来像を想い描き、日々の仕事に真摯に取り組みながら準備をしてきた人たちとっては、今こそその努力を結果にする時だと言えるでしょう。

プロフィール

岸田周三(「カンテサンス」オーナーシェフ)

1974年、愛知県生まれ。三重県の志摩観光ホテル「ラ・メール」を振り出しに、東京都渋谷区のレストラン「カーエム」を経て、26歳で渡仏。フランス各地で、ブラッスリーから始まり、ミシュラン一ツ星から三ツ星まで数軒のレストランで修業。2003年、パリ16区の「アストランス」(現在、三ツ星)で、シェフのパスカル・バルボに師事。2004年、30歳で「アストランス」でスーシェフに抜擢。一ツ星だったレストランを二ツ星に。帰国後、2006年に「レストラン カンテサンス」をオープン。翌2007年11月に、「ミシュランガイド東京 2008」で三ツ星を獲得。以降、2009、2010、2011年度版でも三ツ星を獲得。2011年4月に運営会社の株式会社グラナダから独立し、オーナーシェフとなる。2013年8月、「レストラン カンテサンス」を現在の品川区御殿山に移転。

SHARE

TEAM OF RED PROJECT

RED U-35 2021 ONLINE

ORGANIZERS主催
CO-ORGANIZERS共催
PARTNERS
SUPPORTERS
WE SUPPORT
後援