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山口智也|恩師譲りの“発信力”で 提案する“日本のイタリア料理”

山口 智也(IL TEATRINO DA SALONE シェフ)

INTERVIEW 2018.04.20

「IL TEATRINO DA SALONE」のシェフ、山口智也氏はいつも元気だ。率直な気持ちをストレートな言葉で表現する明るい表情は、周囲をポジティブな空気で包み込む。山口氏が料理人として重視するのは、どれだけの熱量をもって、相手に物事を伝えられるか。この姿勢は、学生時代に出会った恩師から学んだものだ。そんな山口氏は、RED U-35を経て何を学び、そして今後何を伝えていくのか。そのヴィジョンはイタリア料理界全体を見据えた壮大なものだった。

 

 

山口智也氏にとって、大阪のイタリア料理レストラン「ポンテベッキオ」のシェフ、山根大助氏との出会いは決定的だった。辻調理師専門学校在籍時に受けた山根氏の講義に感銘を受け、イタリア料理のシェフになろうと決意したからだ。

 

「山根シェフの授業における、生徒に何かを伝えようとする熱量には凄まじいものがありました」。

 

そんな山根シェフに魅了されて、卒業後は「ポンテベッキオ」に入社し、腕を磨いた山口氏。実際に山根氏のもとで働いていたときも、その熱い想いに圧倒され続けたという。

 

「レストランのトップが自信を持って声を大にして思いを伝えながら突っ走る。その熱量に魅せられるようにして、お客も、スタッフも彼のもとに集まってくるかのようでした」。

 

その後、イタリア本国をはじめ数々のレストランで腕を振るい、「IL TEATRINO DA SALONE」のシェフに就任した今も山口氏は、料理人としての発信力を大事にしている。
そんな山口氏がRED U-35にはじめて出場したのは、一昨年の2016年のこと。インターネットで知り、軽い気持ちで応募。その年はブロンズエッグを獲得したが、その悔しさもあって2017年大会には、より強い覚悟をもって臨んだ。

 

 

「日本のイタリア料理業界を盛り上げたい、という気持ちがものすごく強かったですね。もし、僕が優勝できれば、そのきっかけを少しはつくれるかもしれないと思ったんです」。

 

2度目の出場でファイナリストに選出された山口氏は、前回とは比べ物にならないほど、得るものが大きかったと語る。

 

「三次審査まで残ることができてはじめて、審査員や同世代の料理人と交流する機会を得られました。それが前回との大きなちがいです。当たり前ですが、みな真剣で、すごい人ばかり。山根シェフに出会ったときのようなエネルギーを感じられたんですよ。それが刺激になり、大会後に店に立つ気構えも変わりました」。

 

そんな山口氏は、大会の反省も忘れない。

 

「以前よりも、お客さま、従業員、生産者、企業など、レストランに関わる飲食業界全体のことを考えるようになりました。最終審査に残った料理人は、本当の意味でのホスピタリティとは何かを常に考えている人たちばかりでした。昔は、愛想が悪くても、料理がおいしければいいというような風潮がありましたが、今の時代にそれでは通用しません。料理がおいしいのは当たり前なんです。その上で、お客さまを魅了するホスピタリティのあるお店でなくては。そこが昔と今の飲食業界の大きく異なる点だと思います。そんなところも大会で出会った料理人たちとの会話で改めて気づかされたこと。それがわかっただけでも収穫。もし、出場を躊躇している人がいるなら、絶対に出るべきだと言いたいですね」。

 

大会をとおして大いなる刺激を受けた山口氏。日本におけるフランス料理、中国料理、日本料理と比べて、イタリア料理は、まだまだ高い評価を得られていないという想いも強まった。だからこそ、これからも日本のイタリア料理全体の底上げを目指していく考えだ。

 

「夢は、日本人が日本でつくるイタリア料理を世界に発信すること。僕がイタリアでの修業時代に感動した味に、自分のオリジナリティを加えながら伝えていきたいです」。

 

目を輝かせながらそう語る山口氏。自身が発する熱量で日本のイタリア料理界を牽引する存在になってくれるはずだ。

 

*Author|RED U-35編集部(MOJI COMPANY)

プロフィール

山口智也(IL TEATRINO DA SALONE シェフ)

1987年、広島県生まれ。イタリアの「オステリア バルトロ」や「リストランテ ラ・バリック」にて修業後、「リストランテ カシーナ カナミッラ」(東京)でスーシェフを務める。2017年3月より現職。

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