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特別対談 未知なるおいしさを世界へ!

本岡 将(RESTAURANT KAM)×森 和敬(ヤマサ醤油株式会社)

INTERVIEW 2022.10.28

RED U-35 2022 特別対談「未知なるおいしさを世界へ!
・本岡 将(RESTAURANT KAM シェフ)
・森 和敬(ヤマサ醤油株式会社 営業本部 マーケティング部 MD推進室)

1645年の創業以来、変わらぬ味わいを守り続けるヤマサ醤油の未来を担う森和敬氏と、「RED U-35 2018」で25歳にして準グランプリを獲得し、2021年には“farm to table”を実践する「RESTAURANT KAM」を舞台に、新たな味わいを追求しはじめた本岡将氏。同世代の2人が語ったのは、“未知なるおいしさ”への飽くなき好奇心だった。

光る個性を見出すコンペティションの可能性

 本岡さんは「RED U-35 2018」で準グランプリを獲得されています。これが初挑戦だったんですよね?

本岡 はい、出場したのはその一度だけです。

 その一度きりの挑戦を決めたきっかけとは?

本岡 推薦状が届いたこともありましたし、どんな大会なのかを改めて調べるうちに、同大会の総合プロデューサーを務める小山薫堂さんが料理人について語る記事を見つけて、その視点に興味を覚えたからです。この人に直接お会いして話をしてみたい、それが出場を決めた理由のひとつなんです。

 小山さんのどんな視点にひかれたのですか?

本岡 まったく同じ料理であっても、対応のちがいによって、常連のお客さまと、それ以外のお客さまでは、おいしさの感じ方がちがうという実験結果があります。現時点では数値化不能な現象ですが、おいしさの秘密の一端を解明する上ではとても大切なことだと思うので、その点を科学的に証明したい、というのが僕の夢。それと同じようなことを小山さんも語っておられたので余計に興味が湧いたんです。

 あれから4年が経ち、2021年にはRESTAURANT KAMをオープンさせました。RED U-35に挑戦したことで得たものは?

本岡 RED U-35では、想定していた調理器具が土壇場で使えないことが判明するなど、予期していないことばかり。審査員との面接でも、突然「趣味はなに?」と聞かれて、一瞬戸惑ったこともありました(笑)。ですので、想定外の事態への対応力を高めなければならないと痛感させられました。また、同年代の料理人との交流も、とても貴重な体験でした。同世代の料理人が何を考えているのか、その本音を聞ける機会はなかなかありませんから。決勝を戦った料理人とは、今も連絡を取り合う仲です。

 準グランプリの受賞時の本岡さんは、今の私と同じ25歳。どうしても、今の自分と本岡さんを比べてしまいます。優れた技術はもちろん、アイデアや情熱、そしてユニークなパーソナリティをもつ料理人の存在は、個人的にも大変刺激になりますから。ヤマサ醤油が、この大会をサポートする理由もまさにそんなところにあると思います。つまり、経歴からはうかがい知れない、日本の食文化を牽引するであろう、光る個性を見出し、その人たちが世界に羽ばたけるきっかけを与えるコンペティションをサポートすることは、食の未来に貢献することでもあると考えます。


海外で再発見した伝統の力

 「RED U-35 2022」のテーマは「旅」。想像を掻き立てるテーマだと思います。もし本岡さんが今大会に参加されていたら、どんなアイデアで挑まれていたでしょう?

本岡 僕が渡仏したのは19歳のとき。周囲には僕のことを知っている人が誰もおらず、だからこそ、素のままの自分でいられた気がします。そんな環境に身を置きながら、料理を愛してやまない自分や、人に優しくできる自分を再確認できました。「可愛い子には旅をさせろ」という格言も思い浮かびました。一方で、「旅の恥はかき捨て」という言葉が示すように、新天地では周りの目や結果を気にすることなく、がむしゃらに挑戦できたりもする。ですから、僕にとって「旅」から連想されるのは「新しい自分」。もし今回挑戦していたならば、「未知なる自分」にフォーカスしていたかもしれません。

 私も本岡さんが渡仏された年齢と同じ19~20歳の1年間、米国留学を経験し、いろんな発見をしました。知らない町で自分は積極的に行動するのだろうと思ってましたが、知り合いがいないわけですから、誰もフォローしてくれないわけです。そんな当たり前の事実に気づき愕然としたことも。悔しい想いもしましたが、それによって成長を実感できたりもしました。

本岡 ちなみにアメリカのどの辺りにいらっしゃったんですか?

 マサチューセッツ州のボストンです。めちゃくちゃ寒かったことが今でも忘れられません(苦笑)。でも、地元の人たちがとても親切温厚で、暮らしやすかったですね。ワンダラーオイスター(1個1ドルで食べられる牡蠣)やロブスターなど、料理もおいしかったです。

本岡 うらやましい! そこからどのような経緯でヤマサ醤油さんに入社されたのですか?

 留学中に、米国の友人たちに親子丼をふるまったときのこと。一緒に調理した友人が現地で入手しやすかった中国産の醤油を用意してくれました。ところが、それがかなり古いもので、すっかり風味も色も劣化していたんですね。無理やりその醤油でつくった親子丼でも、米国の友人らは「おいしい!」と喜んでくれましたが、私はまったくそう思えず……。後日、現地でようやく日本の醤油を入手して作り直したら、「これぞ親子丼」という納得の味わいに仕上がりました。醤油をめぐる、今となっては懐かしいエピソードです。当時米国では、醤油といえば刺身につけるものでしたから、それとは異なる醤油本来の使い方や魅力を、海外にも広く伝えていきたいと思いました。そんなとき、出会ったのがかつてヤマサにあった「鮮度の一滴」という鮮度にこだわった商品でした。そうした革新的な技術に挑戦する一方で伝統を貫く姿勢に感銘を受けたのが入社を決意した理由です。

変わらぬ味わいだからこそ可能な新提案

本岡 フランスでも醤油は今やポピュラーな調味料ですが、主な使い方は風味づけですね。

 たしかに、日本料理以外のジャンルでは、用途は限られてしまうかもしれません。ただ、パスタソースに少量加えるなど、醤油を隠し味として使うことで、風味のみならずうまみもプラスされるんです。そんな特性を生かして、各国料理をもっとおいしくする提案をしていきたいと考えているところ。ところで、本岡さん独自の醤油の使い方はありますか?

本岡 果物を発酵させて、ろ過してから渋柿のエキスを加えて苦味をプラスした、赤ワインを模したノンアルコールドリンクを提供する際、お客さまがひとくち召し上がったところで、グラスの縁に醤油をシュッと吹きかけます。そうすると醤油のわずかな香りとともにうまみが加わり、うまみの強いワインのような味わいを演出できるのです。お客さまにも好評ですよ。

 それは面白い。プレゼンテーションもユニークですね。

本岡 もうひとつ例をあげます。ゴボウやキクイモなど土っぽさのある根菜系の野菜を炒め、仕上げに醤油をシュッと吹きかけ、そこにスープを加えます。そうすると瞬間的にさらに火が入り、風味のみならず、醤油の複雑な味わいが引き立つのです。口のなかに広がる香ばしさが、醤油由来のものであることに気がつく人は多くありませんが、日本人にとってそれは懐かしい味として感知されます。このように、フランス料理などを親しみやすい味わいにするためのスパイスとして、醤油を使うことも。

 なるほど、たしかに醤油は日本の懐かしい味の象徴であるかもしれません。当社の醤油の味づくりは、1645年の創業以来、ほとんど変わっていません。そういう意味では、日本の味覚の原点ともいえるはずです。

本岡 1645年! 製法も変わらずですか?

 はい。基本的な製法は変わっていません。力がいる作業に道具や機械を使ったり、醸造中の温度湿度管理などは一部近代化されましたが、今も当社では職人が麹の状態を見極めながら、もろみをかき混ぜています。すべてを機械化するのではなく、伝統の手仕事を大事にしながら、変わらぬ味わいを守り続けているんです。その一方で、その魅力をより広くアピールするべく、香り高いヤマサ醤油の特徴を活かしたしょうゆの試食提案をしたり、ポルチーニソースのような洋風のソースにチャレンジしてみたり……。うまくいかないこともありますが、時代に合わせた提案ができればと奮闘中です。

本岡 ベースとなる伝統があるからこそ可能なチャレンジですね。僕や森さんのような新しい世代が未来を見据えて、既成概念にとらわれることなく、いろんなアイデアを実践すること。その積み重ねがやがて、伝統として次世代に受け継がれるのだと思います。お互い切磋琢磨しながら、世界を驚かせる新たな味わいを生み出しましょう!


ヤマサ醤油株式会社 営業本部 マーケティング部 MD推進室
森 和敬
1997年、埼玉県生まれ。
日本の大学在学中、アメリカ・ボストンのマサチューセッツ州立大学(UMass Boston)に一年間留学。
その後、2020年にヤマサ醤油株式会社に入社。業務用営業を経て、現在は商品の販促などマーケティング業務を担当。
https://www.yamasa.com/

RESTAURANT KAM
埼玉県川口市戸塚3-1-13
月曜日、火曜日

※本記事は、新型コロナウイルス感染拡大防止の対策を講じた上で取材を行いました。撮影時のみマスクを外して撮影を実施しています。

プロフィール

本岡 将(RESTAURANT KAM)

1993年、兵庫県生まれ。高校時代はバドミントンでインターハイに出場。調理師専門学校を卒業後、南仏、フランス・バスク地方、スペイン・バスク地方をまわり、腕を磨く。2017年、23歳の若さで「レストラン Bio-s」の料理長に就任。2020年自店「restaurant KAM」をオープン。
受賞歴:RED U-35 2018 準グランプリ&GOLD EGG

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