「RED U-35 2024」のファイナリスト5人のうち4人のジャンルが日本料理だったことは、2024年のトピックにしてエポックと言えるのではないか? 前年までファイナリストのジャンル内訳は総じてフランス料理が優勢だった。そもそも特定の一ジャンルに集中した年はなかった。
4人のキャリアは様々で――町田亮治さん“「菊乃井」一筋”、中村侑矢さん“海外経験組”、中川寛大さん“ジャンル越境型”、丸山祥広さん“自然派”――志向性も各々異なる。日本料理人の表現領域の広がりが起きている動きも印象付けた。
「ファイナリストが日本料理に集中したのは必ずしも偶然ではないのでは」と指摘するのは、「RED U-35」挑戦者の多くが食の情報源として挙げる柴田書店『専門料理』前編集長で現在は書籍編集を手掛ける齋藤立夫さんだ。齋藤さんは『専門料理』2022年12月号で「日本料理を次代へ」という特集を組んだ。「世界からの注目もあり、継承と進化を意識する日本料理人が存在感を発揮するようになっている」と語る。意欲ある若き料理人が集結する「RED U-35」には、今後の動向が逸早くあらわれる。その一断片が出現したと考えられそうだ。
左から、丸山祥広さん、中川寛大さん、加藤正寛さん、中村侑矢さん、町田亮治さん。足元に注目してほしい。それぞれのキャリアと志向性が履物に表れている。
■世界が日本食をアップデートする
つい先日、日本カルチャーをめぐる熱気に満ちた世界の現場レポート、NHKスペシャル「新ジャポニズム」 第3集「FOOD 日本食が“世界化”する」が放映された。日本食が“世界標準”として現地の暮らしに溶け込み、世界の人々によって新たな文化へとアップデートされる様子が描かれた。トロワグロのDASHIソース、サウジアラビアのIZAKAYA、ブラジルの新国民食・TEMAKI、フランス西部の港町に並ぶIKEJIMEの魚、アメリカの高級鮨店のOMAKASE……。日本食文化史研究者エリック・C・ラスは「もはや日本食は日本だけのものではない」と指摘。「日本の食、それは世界の食卓の未来。その価値に気付いていないのは日本人かもしれない」とのナレーションが番組を締め括った。
そこに映し出されていたのは、若き料理人が海外へ研修に行って目の当たりにする光景でもある。
「RED U-35」の応募作文にもその実態がしばしば記述される。「RED U-35 2024」のグランプリに輝いた加藤正寛さん「この1年間、イタリアを拠点にヨーロッパ各国を巡り、多くのレストランで日本の食材が取り入れられていることに気づきました」。準グランプリの中村侑矢さん「私が日本料理に原点回帰したのも、世界中で日本料理が愛され、評価されていると再認識したからです」。
また、中川寛大さんはこんなエピソードを披露してくれた。「英国マンチェスターのレストランに勤務する知り合いの日本料理人がめちゃめちゃ重宝されていると聞いています。献身的な働き手であると同時に、海外の料理人たちが知りたくて仕方がない和食の技法を提供してくれる存在だから。『醤油、作れるか?』『味噌、作れるか?』『鰹節、作れるか?』とまで求められるらしい」。
加藤さんはイタリア料理人。2年前から海外で働くが、「日本の食材が取り入れられることは誇らしいが、もっと地域の魅力に目を向けることも大切では」とイタリア人にイタリアの魅力を伝える料理で「RED U-35 2024」に挑戦した。
中村さんは「たん熊北店」「山﨑」での修業の後に、スウェーデン、スロヴェニア、ペルーで経験を積んだ。異文化に触れることによって、日本の文化の特質を意識的に捉えるようになったという。
「祗園 さゝ木」での10年を礎として、今はイノベーティブなイタリアン「チェンチ」で働く。「日本料理はお造りのように食材を単体で仕立てる傾向がある。対して、今の店では食材同士の相性と組み合わせの可能性を探り、そこから料理の味を組み立てる」
「RED U-35」の審査員を何度も務めてきた辻調グループ代表の辻芳樹さんのもとには、日本料理をテーマとする講演の依頼が幾度となく舞い込むという。アジア圏の経営者の集まりだったり、翻訳家や通訳者の協会だったり、依頼主は様々。確かに、日本食が怒涛の勢いで拡散するものの、歴史や成り立ち、文化的背景、特質などが伝わっているか、理解されているかといったら、そんなことはないだろう。摂取する以上は正しい知識を身に着けておきたいというニーズも芽生えているのかもしれない。
「大陸からの伝播をはじめ海外から流入する文化を取り入れた後に鎖国による成熟を経た、複雑で巧妙な日本料理の成り立ちのどこに焦点を当てるか。毎回、聞き手の属性や目的に合わせて構成を組み立てます。お椀に特化した内容でといったリクエストもあるんですよ」と辻さんは語る。
「日本料理をテーマとする講演の依頼が寄せられるようになったのは2010年頃から。原田信男氏や熊倉功夫氏らによる研究書を片端から読んで勉強した」と語る。
■自分はなんてちっぽけな存在なんだと謙虚になれる
それにしても、なぜ今、日本食・日本料理なのか?
「飽食の時代は終わり、世界はシンプルさを求めるようになった。限られた食材から豊かな味わいを引き出す日本食が心をとらえる」と「新ジャポニズム」は世界が日本食に触手を伸ばす理由を分析する。飽食が許されない社会状況や地球環境に対する解決の糸口を、世界は日本食に見出そうとしているらしい。
奇しくも、今年の「RED U-35」のテーマは「日本から世界へ」。大阪・関西万博のシグニチャー・パビリオン「EARTH MART」が提示する“世界に共有したい、日本発の食のリスト”「EARTH FOODS 25」を使って、未来への食のビジョンを描き出すという課題である。
「EARTH MART」には5人のシェフによる「EARTH FOODS 25」を使った料理(食品サンプル)が展示されている。その一人、東京・銀座「エスキス」エグゼクティブシェフ、リオネル・ベカさんは、題材となる食材・食品に込められた先人の思考を読み取り、それを投影させる料理に仕立てていた。
「EARTH FOODS 25」をプロデュースする小山薫堂さんに料理の説明をするリオネル・ベカシェフと通訳の勅使河原加奈子さん。「エスキスの料理を作るのと同じ感覚で料理を考えた」とリオネルさんは言う。
25アイテム中、リオネルさんが担当したのは、椎茸・干椎茸、寒天、ふぐ、すり身、鰹節。「50年後もこれらの食材はまだ地球上にあるだろうかとイメージしながら料理しました」。
「日本に住んで約20年。日本人の知恵、美意識、哲学に触れ、その意味を考え続けて、それらがこれからの世の中を生き延びるのになくてはならないものであると、折に触れて発言してきた」。リオネルさんはこう前振りした上で、次のように語る。
「日本料理を食べると、人はエコロジストになりたいとの思いが湧き起こるのではないでしょうか。極端なイメージかもしれませんが。自然が人類に語り掛けていることを日本料理から感じ取れる。世界の中の自分とはこんなちっぽけな存在なのかと謙虚になれる。その謙虚さが、世界の未来にとって必要不可欠な要素だと思うのです」
■自分の料理を作りたい。その気持ちが料理を前進させる
では、私たち日本人自身は、日本食とりわけ日本料理をどう進めるべきなのだろう? ファイナリストが集中した事実は、今こそ日本料理の行方を考える好機であると示唆しているように思えてならない。
この命題と向き合う上で、22年から「RED U-35」の審査委員長を務める狐野扶実子さんの指摘は興味深い。
「ファイナリストたちの料理を見ていて、あぁ、彼らは自分の料理を作りたいんだな、自分の料理と言いたいんだなと思いました」
「日本料理の本質を踏まえつつも、自分の料理として打ち出したいポジティブな意欲を感じた」と狐野さん。
彼らを見ていて、狐野さんはアラン・パッサールのもとで働いていた当時を思い起こしたという。パリのル・コルドン・ブルーで伝統的なフランス料理を学んだ後にパッサールが営む「アルページュ」に入った狐野さんは、学校の教えが正統ならば、パッサールを同じフランス料理と捉えることはむずかしいと感じた。「レストランガイドがアルページュをフランス料理カテゴリーに分類することに違和感を覚えていました」。
独自の世界観があると、既存の枠組みには収まらない。トップシェフばかりでなく、自分もそうありたいと望む若い世代の存在を、狐野さんは2024年の「RED U-35」で感じたのだった。中村さんがスロヴェニアの三ツ星「ヒシャ・フランコ」でローカルに根ざしたレストランの営みを体験した後に、奈良の宇陀で自店を開いたことにも興味を引かれた。「レシピよりも、レストランのあり方の本質を掴んだのでしょうね。それを日本で展開していこうとしているのだな、と」。
日本料理がより多くの人々にとって価値あるものになってほしい。様々なニーズに応える料理になってほしい。そのためにはいろんなタイプの料理が登場したほうがいい。狐野さんはそう考える。
「茶道、華道、書道など、道を究めることを美徳とする日本では、型を重んじる志向が強くて、挑戦より正しさを求めようとする。でも、伝統と革新は共存すると私は考えています。両方が共存するのが理想の環境。素材を生かす技術や四季を映し出す献立に特質があるとされる日本の食を、固定化するのではなく、どうやって未来へつなげるかを考えなければ、文化として生き残れないと思います」
■型を守る、型を捨てる。これからの2つの道筋
2024年の審査で、中村侑矢さんの「鹿椀 夏仕立て」が議論――野生の獣肉をローストという調理法でレアな火入れで椀種にすることは是か非か――になったのも、型が重視されるがゆえだろう。
中村侑矢さんの「鹿椀 夏仕立て」。椀種は地元・奈良で捕獲された鹿肉。鹿の心臓の肉醤に浸け込んだロース肉を、肉醤を塗りながら焼き上げる。吸い地は利尻昆布と鰹節でとっただし。鹿肉の下には三輪そうめんとオカヒジキ、上には実山椒と刻んだ白瓜。あしらいは大和当帰の花。
町田亮治さんの最終審査での作品。一年のうち最もおいしいとされる時期の淡路島仮屋浜の鱧を使い、鱧切り包丁で骨切りを施して牡丹鱧に仕立てた。取り合わせたのは焼き茄子と亥の子餅。練った抹茶とすすき柚子を天にあしらっている。日本料理の型に則った伝統的な椀物。
日本料理には決まりがあり、型がある――とは必ず言及される日本料理の要諦だ。向付、椀、焼き物、八寸……といった流れがあり、食材・調理法・器にも定石がある。どの季節にどの器に何を盛るのか、椀の大きさに対する液量、食材を切り出すサイズまでも決まっている。和菓子は何口で食べるかも想定されている。それは長い年月をかけて、数え切れないほどの作り手と食べ手のやり取りの中で磨き上げられた洗練のかたちに他ならない。
辻芳樹さんは、日本料理のこれからのあり方として、2つの道筋を提示する。
A:日本料理の枠組み・型・技術を一体的に踏襲する中で、より精度の高さを追求する
B:日本料理の技術を駆使して、新しい技術や考え方も取り入れつつ、個人の表現を試みる
日本の包丁の技、食材を扱う術の卓越性は、世界が認めるところ。海外のレストランの厨房に“日本”が入り込むのは単なるブームだからではない。その技を型と共に踏襲するA、技を型から切り離して駆使するB。2つの方向性を辻さんは指し示す。
「AとBを同時進行で進めたら、途轍もない料理人集団ができる」と辻さん。とは言え、「世界の影響力はますます大きくなる。若い料理人がその影響にさらされるのは必然です。Aを選ぶ料理人のほうが減る懸念がありますね」と推測する。
■表現領域を開拓する2人
過去、「RED U-35」のグランプリ・準グランプリを獲得した日本料理人は2人。2016年と19年の準グランプリ成田陽平さん。そして、2022年のグランプリ酒井研野さんだ。
成田さんはフランス料理からの転向組だ。フランス料理7年半(2年はフランス)の後、「菊乃井本店」で9年修業。2022年末に故郷・弘前で開業した。津軽の郷土料理のエッセンスをふんだんに盛り込んで献立を構成。修業時代から弘前で郷土料理をとの意志が強く、京料理を営む選択肢は頭になかったという。「高度に洗練された型や決まりを持つ都市文化としての京料理とは違って、そこにある食材でいかに食べつなぐかを根っことする郷土料理は、生きるための料理。僕がやっているのは、現代人が置き去りにしがちなものをすくい上げ、菊乃井で学んだ技術を使って、次の世代へ新しい表現で伝えていくこと」。
2022年春に帰郷した成田さんは、開業する同年12月まで、津軽伝承料理の保存活動「津軽あかつきの会」に通って、郷土料理を学んだ。ちみなに酒井研野さんも青森出身で同会の料理からヒントを得た一品を時折献立に組み込む。写真は柴田書店から刊行された「津軽あかつきの会」のレシピブック。7月に第2弾が発売される。
一方の酒井研野さんは、青森県出身で「菊乃井」で経験を積んだ点は成田さんと同じだが、地元には帰らず、京都に店を構える。「京都こそが日本料理のメッカであると思うから」というのがその理由だ。「現代の日本を映し出す料理」を料理スタイルとして掲げ、菊乃井で学んだ京料理の技術や感性をベースとして、郷土料理や家庭料理、海外からやってきて日本人に馴染んでいる料理も「日本料理」として取り入れるが、「A」の道を歩む意志は堅い。「2022年にRED U-35のグランプリを受賞して、いっそうその決意が固まりました」。
酒井さんは「菊乃井」での修業の後、「京、静華」で中国料理を1年学んだ。「日本料理は食材の持ち味を生かす料理。時に高級食材に頼らなければならないこともある。日本料理のイメージを守りながら、中国料理の油や複合調理法などを違和感なく取り入れることで、コースに緩急が生まれ、使える食材の幅も広がる。一方で、なんでも漆器に盛れば日本料理になるわけではなく、これは日本料理と言えるだろうかと自問自答を繰り返しています」。
「RED U-35 2022」の最終審査で酒井さんが作った「鯨椀」。大阪おでんに欠かせないコロから着想して、もちくじら(鯨の皮下脂肪)を椀物に。一番だしにコクをプラスするために中国料理の清湯を合わせた。「鯨食は縄文時代から続く日本の食文化。商業捕鯨は国際的に問題にされるが、資源管理の意識を持って未来につなぎたい」。
■自然環境の変化が進化を導く
2009年に働き始めた酒井さんは、日本料理界が世界と関わり合っていく過程をリアルタイムで見てきた。ミシュランによって三ッ星の料亭が誕生して世界の土俵に上がった。外国人が修業にやってきて、厨房が国際色豊かになった。2013年、和食がユネスコの無形文化遺産に登録された。そして、「2010年代後半からは、食材に変化が起き始めた。シビ(クロマグロ)が手に入らない、イイダコが入ってこない。当たり前に使っていたものが使えなくなった」。
水産資源をはじめとする食材危機に対して、日本料理人の多くが不安を募らせている。「日本料理を作れなくなる」と言う料理人もいる。実際、昆布でだしを取ることすら困難になると囁かれながら、これまでと同じ料理を作ろうとするほうが非合理かもしれない。成田さんは「僕たちの世代で食材の価値観や扱い方を変えていかなければ、先へつなげられない」と話す。「自然環境に従えば自ずと変化せざるを得ない。意図的に進化を起こさずとも、進化が生まれるのではないでしょうか。たとえば、天然の魚より野生の鹿のほうが手に入りやすくなるのだとしたら、中村さんの鹿椀には可能性がある」。
2024年の最終審査では、料理作成(11人分)に1人50,000円の予算が与えられたのに対して、ファイナリストたちが掛けた材料費は1人平均9,068円だった。「課題に直面していること、僕らの後ろに続く世代がいることが常に頭にある。僕たちの食材意識は明らかに上の世代とは違うと思います。高級食材よりも持続可能な食材を、特別な食材より身近な食材をレストランの料理に仕立てるのが料理人の技量と考える」とChefs for the Blue(水産資源と魚食文化を未来へつなぐ活動体)のメンバーでもある中川さんはつぶやく。
丸山祥広さんは自然に感応する能力が高い。「最近、咲くはずのない時期に花が咲き、生きているはずのない時期に生きている生物を見るだけに、自然と共にある日本料理像をもっと世界にアピールしたい」
「赤坂 菊乃井」で16年間、研鑽を積んできた町田亮治さん。「Aの道を歩んできたが、故郷へ戻ってBにチャレンジする可能性もあり得るのではないか。絶賛悩み中」と言う。
店のあり方も変わろうとしている。丸山祥広さんは今年6月のオープンに向けて新店舗づくりを進めており、「地元熊本の一次産業に密着した日本料理の将来像の構築」を目指す。町田亮治さんは独立の方向性を熟考する毎日だが、陶芸家グループ「基」との連携ができないかを模索する。そして、カウンター割烹全盛の今、あえて料亭の復権に挑むのが酒井さんだ。「日本料理は仏事・吉事、人生の節目節目の時を過ごす場としての役割を担ってきた。人々の記憶が蓄積される空間をつくり出して、皿の上だけではない日本料理を実践したい」。
ちなみに、研野さんは、この3月、世界有数の料理大学CIA(Culinary Institute of America)の取材を受けた。プラントベースを模索する参考事例としてのヒヤリングだったらしい。地球環境の変化が加速する中で食のあり方を考える時、世界が日本の営みを知りたがっているのは間違いのない事実。成田さんが足元の食文化の中に次代へつなぐコンテンツを見出すように、まずは私たち自身が「EARTH FOODS 25」と向き合うことで見えてくるものがあるに違いない。
君島 佐和子
フードジャーナリスト
「料理王国」編集長を務めた後、2005年に料理通信社を立ち上げ、2006年「料理通信」を創刊。編集長を経て編集主幹を務めた(2020年末で休刊)。辻静雄食文化賞専門技術者賞選考委員。立命館大学食マネジメント学部で「食とジャーナリズム」の講義を担当。