「もう1度だけ『RED U-35』にチャレンジできるのは、不幸中の幸いというべきか」--「RED U-35 2024」で念願のグランプリ獲得を果たせなかった町田亮治氏はすでに、最後のチャンスに照準を合わせている。
町田氏が「RED U-35」に挑むきっかけのひとつとなったのは、2014年に開催された第2回大会のグランプリであり、現在審査員を務める吉武広樹氏を追ったドキュメンタリー番組だった。
「挑戦者と審査員との真剣勝負を映したワンシーンに感動しました。いつか自分もこの場所に!と」
長年の努力が実を結び、みごとファイナリストとして挑んだ「RED U-35 2022」では、憧れの舞台に立ち、それだけで満足していたのかもしれないと語る。
「大会を特等席で見ていたという感覚でしょうか。自分は料理人であると同時に、熱烈な料理人ファンでもあるんです。審査員の方々の著書は隅々まで目をとおしていますので、審査員長の狐野扶実子さんはじめ、吉武さん、佐々木さんなど、尊敬する料理人の方々に自分の料理を審査していただけるだけで満足してしまったような気がします」
しかし、町田氏の「RED U-35 2024」にかける想いには並々ならぬものがあった。世界的なパンデミックにより一進一退を繰り返していた独立の話が具体性を帯びはじめ、自身の料理への手応えを感じはじめていたタイミングでもあった。「RED U-35」でグランプリ獲得を足がかりに、新たな道を歩きはじめる--そんな決意を胸に、悲願達成の準備も万全に整えた。
「『自分らしさ』というテーマは、独立を視野に入れはじめたころから常に考え続けてきたこと。生涯をかけてどんな料理をつくっていきたいのか、その想いを表現したのが決勝のひと皿でした。これでダメだったら仕方がない、という覚悟で挑んだのですが……。だからこそ本当に悔しかったんです」
町田氏が決勝で披露したのは、亥の子餅が添えられた鱧のお椀--季節の旬や歳時を細やかに表現した京料理の原点に立ち返ったひと皿だった。そこには、「菊乃井」という看板を背負い、最高峰の日本料理を求める客人の期待に応えるため、日々精進を続けてきた料理人としての矜持が込められていたはずだ。
「『菊乃井』の味を寸分違わず提供することに心血を注ぐ日々において、僕の個性は必要ありません。それは『器のなかに自分を表現するなんておこがましいこと。旬の味覚を季節にふさわしい器に、歳時に合わせて美しく整えるだけで立派なご馳走になる』という大将(「菊乃井」主人・村田吉弘氏)の教えでもあります。求められるのは、常に腕を磨き己を高めていくこと。ただし、独立した暁には同じ料理を出すわけにはいきませんから、今後は京料理の枠組みのなかで、いかにして自分の色を出していくのかが課題です」
町田氏の将来におけるプランのひとつが、故郷である愛知県一宮市で店を開くこと。木曽川の流れる織物の一大産地として隆盛を極めた歴史ある街で、多彩な文化と風土を背景に、己の理想とする日本料理に向き合えば、自ずと自身の料理が表現されるのではないか。写真のひと皿は、そんな予感を抱きながら自店を訪れる客人に想いを馳せてつくったものである。
「寒い時期に召し上がっていただく蕪蒸しは京料理における王道の料理ではありますが、餡の硬さや味わいは時代によって変化してきました。個室にただひとつ火鉢があるだけの暖房設備があまりない時代には餡を硬めに、塩を効かせて仕上げたようです。冷めにくいその料理は、客人の心身をじんわりと温めてくれたでしょう。その後暖房器具が発達するにつれて餡は緩くなってきました。10年後、20年後、日本料理が環境に合わせてどのような変化を遂げるのかを見るのも楽しみです」
客人への細やかな気配りが込められたひと皿は、日本料理の不易流行を体現するものでもある。それこそが、町田氏が追求する「自分らしさ」なのだろう。
伝統を受け継ぐ料理人としての覚悟と自信を胸に、新たな道を見据えたウォーミングアップをはじめた町田氏は、次回大会にかける意気込みをこう力強く語ってくれた。
「なんとしてもまた、あの舞台に立ちたい。どんなテーマが課されても、今回の反省を踏まえながら全力で従来の姿勢を貫くだけ。『RED U-35 2025』のファイナルが開催される大阪は父の生まれ故郷でもありますので多くの親類もいます。それに尊敬する米田肇さん(『HAJIME』オーナーシェフ)も審査員に加わります。世界が注目する舞台で、日本料理の真髄を披露するつもりです」
【料理】 今の自分を表現する料理として「蕪蒸し」をつくった理由を、町田氏はこう語る。「変わらないように見えて、時代に合わせて少しずつ変化していく伝統のあり方もあるということ。天候やお客様の状況に合わせて、あるいはその土地の風土に寄り添いながらおもてなしの心を表現するのが自分らしいのかもしれません」。
text by Moji Company / photos by Shiho Akiyama
町田亮治
「赤坂 菊乃井」副料理長
1990年、愛知県生まれ。高校生のころにテレビ番組で見た「菊乃井」に憧れ日本料理の道へ。名古屋調理師専門学校卒業後、2008年「菊乃井」入社。その後「赤坂 菊乃井」一筋で研鑽を積み、副料理長として活躍。現在は独立に向けて準備中。