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小川苗|新しい時代の料理人像を目指して

小川 苗(Paris.Hawaii スーシェフ)2019 Finalist インタビュー

INTERVIEW 2020.05.14

地球環境に配慮した、持続可能な社会の実現に向けて、さまざまなアプローチを模索する料理人が増えている。RED U-35 2019において、ゴールドエッグおよび岸朝子賞と滝久雄賞を受賞した小川苗氏も、そのひとり。ニューヨーク、パリ、ハワイ……世界のさまざまな風景を眺めながら、自問自答を繰り返してきた彼女は今、何を想うのか。その道のりと、これからを聞いた。

RED U-35 2019のファイナリスト6名中唯一の女性料理人として、確固たる信念を感じさせるパフォーマンスを披露した小川苗氏は、独自の存在感を放っていた。そんな彼女が育ったのはアーティスト一家。自宅には布やミシン、絵の具、電動ノコギリなど、何でもそろう図工室のような環境だったと言う。

「家では、いつも誰かが何かをつくっていました。当然私も幼いころから絵を描いたり、工作をしたり。料理も大好きでした」

転機が訪れたのは、高校生のときだった。ホールスタッフとしてアルバイトをしていた近所の小料理屋が、あるとき業態を変えてフランス料理店に。そこではじめて食したフランス料理に感動した小川氏は、自分もこんな料理をつくってみたいと、キッチンで働けるよう頼み込んだ。これが、料理人への第一歩だった。

高校卒業後はレストランで働きながら夜間の調理師学校に通い、その後“一流の仕事”に触れるべく「NARISAWA」へ。一流の世界を体感した小川氏の興味は、レストランシーンが活況を呈していたニューヨークへと向かっていった。

「ニューヨークにわたる日本人料理人が現在ほど多くはなかったこともあり、なおさらどうしても行きたかったんです。英会話もまったくできない状態でしたが、英語の堪能な義兄に私の強い想いを英訳してもらった手紙と履歴書を握り締め、現地に飛び込みました」

そんな彼女をスタジエとして迎え入れたのは、米国のフランス料理界を牽引する「Bouley」である。当時小川氏はまだ21歳。はじめての異国の地で見るものすべてが新鮮だった。その衝撃は彼女をさらなる“冒険”へと駆り立てていった。

米国のビザが切れるとすぐに渡仏。パリ滞在中にもバカンスを利用するなどして約20カ国を訪れ、とにかく話題のレストランに足を運び、その料理を食べ尽くしたと言う。そんなある日のこと、モロッコのあまり裕福ではない家庭の女性が振る舞ってくれた料理が、彼女に大切なことを気づかせてくれた。

「素朴で、とても美味しくて、思わず感動しました。同時に、私は何か大切なものを忘れているような気がしたんです。フランス料理の技術習得に必死になるあまり、何かを見失っていたのではないかと……」

そんな小川氏は今、息を呑むほどに美しい夕日や虹などハワイの絶景に囲まれながら、食べること、そして生きることの本質について、日々自問自答を繰り返しながら、理想とする料理人像に近づくべく、ゆっくりとだが着実に歩を進めている。

「ハワイは、ほしい食材がなんでもそろう環境ではありません。でも、限られた素材に対峙し、その可能性を広げることこそが料理人の本来の姿だと思うんです。今私にできることは、ハワイらしい食材の新たな魅力を、フランス料理の優れた技法で引き出すこと。そしてそのインスピレーションの源でもある自然環境を守るべく、料理人として何ができるかを考え実践していくことです」

そんな彼女が「RED U-35 2019」へのチャレンジを決意したのは、2019年のテーマを「新たな挑戦」に決めた誕生日のこと。その日はちょうどRED U-35の応募が開始されたタイミングだったのだと言う。直感を大事にする彼女らしいエピソードである。

「挑戦するからにはグランプリを獲得しようと、全力を尽くしましたが力及ばず。しかし、岸朝子賞と滝久雄賞をいただいたことで、女性として辛かったことや、海外での孤独感など、さまざまな苦労が報われた気がしました。今はこの大会をとおして自分と向き合うことで見えてきた新たな課題に向かって日々精進を続けるだけです」

地球の美しさ、尊さを一皿に表現し、人びとの意識を変えていくこと。新たな価値観を提示するべく挑み続ける彼女の夢が、どのようなかたちで実現されるのか、これからも注目していきたい。

*Author|RED U-35編集部(MOJI COMPANY)

プロフィール

小川苗(Paris.Hawaii スーシェフ)

1992年、東京都生まれ。服部栄養専門学校を卒業後、「NARISAWA」(東京)ヘ。21歳で渡米し、「Bouley」(アメリカ・ニューヨーク)へ。その後、「La bourse et la vie」(フランス・パリ)を経て、「Paris.Hawaii(アメリカ・ハワイ)」に。現在は、同店でスーシェフを務める。

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