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音羽 創|故郷を舞台に活躍する日を目指し磨きをかけるコミュニケーション力

音羽 創(シエル エ ソル シェフ)

INTERVIEW 2018.05.11

音羽創氏の父、和紀氏は、フランス料理界の重鎮、アラン・シャペル氏に日本人としてはじめて師事した人物だ。それゆえ、父の後を継ぐべく料理人の道を歩もうと決めてからは、悩むこともあったが、持ち前の前向きな性格で、着実に腕を磨いてきた。その証拠に奈良の食材の魅力を発信するというコンセプトのレストラン「シエルエソル」のシェフに就任すると、わずか1年足らずでミシュランの一ツ星を獲得した。だが、音羽氏はそれに満足せず、さらなる経験を積もうとRED U-35の出場を決意したという。そんな氏が見据えるものとは……。

 

 

音羽創氏が料理人になろうと決意したのは17歳のとき。父である音羽和紀氏のイタリア出張に同行した際の体験がきっかけだった。同地で開催されたイベントで、スタッフとして父の仕事をサポートするうちに、あらためて料理人の魅力を知ったのだという。
「人前で料理の腕を振るい、スタンディングオベーションを受ける父の背中を見て、言葉にならないほど感動したんです」。
こうしてフランス料理の世界に飛び込んだ音羽氏は、数々の現場を渡り歩き、腕を磨いてきた。シェ・ヌーの赤間善久シェフのもと料理技術のみならず料理人としての、そして社会人としての姿勢を学んだ。ル・マンジュ・トゥーの谷昇シェフのもとでは、細心の注意を払って丁寧に、そして正確に、仕事をすることの大切さを学んだ。

 

 

「時に厳しくも、しっかりご指導くださった恩師の方々のおかげで今の自分があるんです」。
そんななか、父からは、「経験のひとつとして料理コンクールに出てみては」というアドバイスを受けたこともあったと言う。興味をもっていたもののなかなか機会がなかったところ、知人に「出場してみないか」と誘われたRED U-35の募集概要に、音羽氏は従来のコンクールにはない魅力を感じたという。
「料理人の技術だけではなく、“人そのもの”が審査の対象となるコンセプトに惹かれたんです」。

 

 

実際に出場してみると、一次審査から最終審査まで、一貫してユニークな課題が続き、人間性のみならず、発想力や解釈力、プレゼンテーション能力が試されていると感じたそうだ。
「父にはコンセプトに合わせた仕事をできるようになれ、ともよく言われていました。というのも、近年は、さまざまな企業とのコラボレーションの機会が増えてきているからなんです。相手のコンセプトを理解して、それに対応する能力が求められる時代なのだと思います。その点も意識しながら課題に取り組みました」。
料理人が厨房で料理だけをしていればいい時代は終わった。その意味でも、RED U-35の意義は大きいと語る音羽氏が重視するのはコミュニケーション能力だ。シェフとして店をまとめる立場として、お客や生産者、企業、そしてスタッフに対して、何をどう伝えるのかに腐心する。
「スタッフとの信頼関係は最も重要なこと。支えてくれるスタッフが僕の考えを理解できていないと、店のあり方にブレが生じてしまいますから。RED U-35の出場は、自分のコミュニケーション能力を試すよい機会になりました。大会への出場によって職場が活気づいたことも良かった点ですね。偉そうなことは言えませんが、まずは出場してみるという姿勢が大切だと思います」。

 

 

音羽氏の近い将来の目標は、いずれは生まれ育った栃木県宇都宮市に戻り、故郷の食材を大切にした“地産地消”のレストランを出すことだ。
「たとえ地方であっても、目当てのレストランのためだけに人が足を運ぶ時代になりつつあります。僕もいつかは生まれ故郷にそんなレストランをつくりたいですね」。
RED U-35への挑戦を通して学んだコニケーション能力と創造力は近い将来、故郷の地を舞台にさらなる輝きを放つはずだ。

 

*Author|RED U-35編集部(MOJI COMPANY)

プロフィール

音羽 創(シエル エ ソル シェフ)

1983年、栃木県生まれ。「シェ・ヌー」(宮城)や「ル・マンジュ・トゥー」(東京)、オトワレストラン」を経て、フランスの「ル・ベルヴェデール」等で研鑽を積む。2016年1月より現職。

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