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赤井顕治|人と人とをつなぎ、未来を切り拓く理想のガストロノミーを目指して

赤井 顕治(アーククラブ迎賓館 広島 料理人)

INTERVIEW 2018.05.18

“大きな飛躍のきっかけ”を求めチャレンジしたRED U-35 2017において、見事レッドエッグという栄冠を勝ち取った赤井顕治氏。決定の瞬間、喜びを深くかみしめるように拳を固く握る氏の姿が印象的だった。それは、さまざまな逆境をバネに困難な道のりを乗り越えてきた赤井氏にとって、すべての努力が報われた瞬間でもあったのだろう。「夢は地元広島で、その魅力を世界に発信するレストランをつくること」と語る赤井氏の、その拳に込められた想いとは……。



「同世代の意識の高い料理人と出会えたことが何よりの財産」と、“レッドエッグ”という最高の栄誉を手にしたRED U-35 2017を振り返る赤井顕治氏。その道のりは決して平坦なものではなかった。 3回目となる同大会へのチャレンジを決意した時、赤井氏はフランス--同国で唯一ミシュランの3つ星を保持する女性料理人、アンヌ=ソフィ・ピックのレストラン「ラ・メゾン・ピック」--にいた。

「精神的にも肉体的にもハードな日々だった」と振り返るように、同店での仕事は早朝から深夜まで。そんな赤井氏がRED U-35の課題に取り組む時間は業務終了後のみで、深夜から朝方まで試行錯誤を繰り返す日々を2週間ほど続けた。睡眠時間はほとんどなく、何度も諦めてしまおうかとさえ思った。しかし、それまでの苦労や、叶えるべき夢の存在を思い出し、歯を食いしばるようにして乗り切ったのだという。



赤井氏がフランス料理に魅せられ、理想とする料理人像に向かって本格的なスタートをきったのは20代も半ばを過ぎたころ。有名レストランでの体験がすべてを変えた。

「フランス料理の魅力は、メインの食材と付け合わせ、そしてソースのハーモニーが起こす化学反応。それこそがこの料理の楽しさであり、魅力なのだと思います。そんな料理を求めて食べ歩きをしていたころに出会った、大阪のHAJIMEや、東京のカンテサンスなど、名だたるフランス料理レストランでの体験は衝撃的でした。料理はもちろん、サービスも素晴らしく、そこで過ごした時間が本当に素晴らしくて。自分はいつになったらこの人たちのような料理をつくれるようになるのだろう……。このままでは足元にも及ばない、と自身の実力不足を自覚させられた瞬間でした」。

一流の料理人との圧倒的な差を少しでも埋めるべく、さっそくこれぞと思うレストランにアプローチするも、年齢と経験がネックとなりその願いは叶わなかった。



「年齢も28歳になっていましたし、これといった有名店での修業経験もありませんでしたから……。残された道は、フランスで腕を磨くことだけでした」。

勤めていたワインバーを辞し、固い決意を胸にフランスへの渡航費と滞在費、さらに日本に残す家族の生活費を確保すべく朝から晩まで、とにかく資金を稼ぐためだけに複数のアルバイトを掛け持ちして馬車馬のように働いた。そんな生活を約1年半続けた後に、ようやく渡仏。そこには赤井氏の転機となる大きな出会いが待っていた。

「パリのル・ルレ・ルイ・トレーズのシェフ、マニュエル・マルティネスとの出会いは、本当に掛け替えのないものとなりました。そこで得たものはすべて今後の料理人人生の指針となるべきもの。なかでも印象的だったのは、食材へのこだわりです。シェフは自らが仕入れてきた食材を、“これは地下の貯蔵庫へ”、“これはすぐに使う”などと、一つひとつ選り分けるんです。上質なものを仕入れるのはもちろんのことですが、それをいかに最良の状態で使うか。その“使いどき”をとても大切にしていました。日本ではあまり見られなくなったクラシックなフランス料理を体験できたことも、大きな財産となりました」。



その後前述の「ラ・メゾン・ピック」でも修業を重ねて帰郷。現在は地元の広島で、自身の夢に向かって走りはじめたところである。

「夢は、広島やその近郊の生産者、器などのものづくりをしているクリエイターの方々をリンクさせ、そのハーモニーをひと皿に表現し、世界に発信していくこと。僕にとって料理はひとりではなく、スタッフや生産者など、意志を同じくする人たちとともにクリエイトするもの。そのほうがより良いものができると信じています。さまざまな要素の相乗効果がさらなる魅力を生むフランス料理のように、ですね」。



自分の殻を打ち破るきっかけを求め参加したRED U-35 2017において最高の結果を勝ち取り、大きな自信を得た赤井氏は今まさに飛躍のときを迎えている。

*Author|RED U-35編集部(MOJI COMPANY)

プロフィール

赤井 顕治(アーククラブ迎賓館 広島 料理人)

1983年、広島県生まれ。広島のワインバーで厨房責任者を務めた際に、フランス料理に興味を抱き渡仏。「ル・ルレ・ルイ・トレーズ」や「ラ・メゾン・ピック」で修業し、自らの料理スキルに磨きをかける。2017年秋より現職。

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