RED U-35RED U-35

メニュー

酒井研野|日本料理の新たな可能性を世界に発信

酒井研野(日本料理 研野)2022 Finalist インタビュー

INTERVIEW 2023.02.09

「『RED U-35』がなければ、今の自分はない」

「RED U-35 2022」をそんな感想とともに振り返る酒井研野氏はこの数年、激動のときを過ごしてきた。

独立を視野に「菊乃井 本店」を辞した後、国内外のレストランで経験を積み、2021年には料理店「日本料理 研野」をオープンさせると、すぐに食通注目の的となり、翌2022年には早くも『ミシュランガイド京都・大阪2023』にて、ミシュラン一つ星を獲得。最上のスタートを切ったかに見えた酒井氏には、もうひとつの悲願があった。それは、「RED U-35」グランプリRED EGGの獲得だった。

酒井氏が同大会に初めて挑戦したのは2015年。25歳のときだった。2013年の杉本敬三氏(「Restaurant La FinS」オーナーシェフ)、2014年の吉武広樹氏(「Restaurant Sola」オーナーシェフ)など、歴代グランプリの顔ぶれを前に、当初は「今の自分が通用するような大会ではない」と考えていた酒井氏だったが、2014年のゴールドエッグに選出された同年代の前田裕紀氏(当時「京都吉兆 嵐山本店」)の活躍にも刺激されエントリーを決意した。

当時、「菊乃井 本店」で6年目。同店でのポジションを上げることに注力し、充実した日々を過ごしていた氏は、一方で「暗闇を登山しているような」漠然とした不安を抱えていた。

「この大会に出場し驚いたのは、そこには数多くのすぐれた同世代の料理人がひしめいていたこと。フランス料理や中国料理など、他ジャンルの若き精鋭たちと渡り合うためにも、自分が極めようとしてる日本料理とはそもそもどんな料理なのか……その強みと弱みを再考せざるを得ませんでした」

2015年大会で得た多くの課題をクリアすべく、酒井氏は日々の仕事に全力で向き合いながら、ソムリエ試験に挑むなど料理人としての幅を広げていった。日本料理の本質について考え続け、その思考の末に得た結論を、言語化することにも腐心した。

そんな濃密な日々を過ごした氏の努力は実り、翌2016年大会ではゴールドエッグに選出。審査員の辻芳樹氏から「この1年間でとても成長した」と評価されたことも自信につながった。

「審査員から与えられる課題は、普段から少しでも疑問に感じた部分をクリアにしておかなければ対応できないものばかり。自分自身を見つめ直し、その思考を言葉にすることで、自分の料理観をより明確にできたと思います」

理想に向けてさらなる研鑽を積んだ酒井氏は、2017年より「菊乃井 無碍山房」にて料理長を務め、2019年に退職。その後、自身がめざす日本料理を具現化させるべく、日本料理を外から見ることにした。

「研修先のニューヨークの鮨店では、週に2度ほど豊洲から魚が届けられていました。そこで考えさせられたのは、日本料理は上質な食材なくしては成立し得ないものなのか、フランス料理や中国料理が食材に乏しい地域においても普及したのはなぜなのか、ということ。そこに日本料理をさらにユニバーサルな存在にするためのヒントがあるはずだと考えたんです」

デンマークの「ノーマ」で研鑽を積んだジェイカブ・キアー氏がヘッドシェフを務める京都・東山の「ルーラ」での研修を経た酒井氏が、次に修行したのは古典的な中国料理を紐解き現代的な料理に昇華させる中国料理の名店「京、静華」だった。「菊乃井」在籍中より、同店シェフである宮本静夫氏主催の勉強会に参加するなど、日本料理の源流ともいえる中国料理の奥深さに魅せられていたと言う。

「日本料理は、油脂分を極力使うことなく、昆布や鰹節などから抽出したうまみを軸に構築する引き算の料理です。そこに油やスパイスを巧みに使う中国料理の技法を加えることで、香りや味わいにさらなるヴァリエーションを生み出せるはずだと考えました」

そんな酒井氏の店では、日本料理の真髄を表現する季節感あふれる料理に加え、チャーシューやシュウマイ、自家製たまご麺のラーメン、荘厳な行進曲「威風堂々」をBGMに土鍋ご飯の蓋が開けられる名物の「ご飯会議」(写真のご飯とおかずのセット)など、起伏に富んだダイナミックなコースが供される。

「日本人にすでに馴染んでいるもの、あるいは、これから馴染むであろうもの。つまり、過去、現在、未来をつなぐ日本料理を追求することが僕の使命。そんな日本料理を、京都から世界に発信していきたい」

そう語る酒井氏が「RED U-35 2022」ファイナルの舞台で披露した「懐かしい味が新しい」と題された鯨椀には、そんな意気込みが込められていたはずだ。

念願だったグランプリRED EGGを獲得した瞬間、喜びを噛みしめるように深くこうべを垂れた後、おもむろに立ち上がった氏の目から溢れ出た大粒の涙は、「6回にわたる挑戦がようやく終わったという安堵と、努力が報われたことの喜び」の現れだった。

「僕にとって『RED U-35』は、料理人としてのみならず、人としての成長を促してくれた、そして未熟な料理人に光を当て、世に出るチャンスをくれた大会です。うちで働く若い料理人にも、この大会を経験させてあげたいと思っています」

日本料理を世界に広めるべく、和食のユネスコ無形文化遺産登録に尽力した村田吉弘氏(「菊乃井」主人)の姿を大きな道しるべとして料理道に邁進した酒井氏同様、後進たちにもその意思は受け継がれるはず。日本料理に新たな息を吹き込む氏のクリエーションは、近い将来世界を驚かせるにちがいない。

【料理】 2022年の11月末に設立した法人名「RICE MEETING」の由来となった同店の名物「ご飯会議」。切り干し大根、数の子、するめ、昆布を漬け込んだつがる漬、赤大根ときゅうりの糠漬、塩のみで発酵させた白菜の漬物、山くらげと乾燥野菜のちりめん山椒など、白米との相性を考えたおかずが並ぶ。米は酒井氏の故郷である青森県産「まっしぐら」。さまざまな検討を重ねた末に辿り着いたもの。

text by Moji Company / photos by Makoto Ito

プロフィール

酒井 研野

「日本料理 研野」オーナーシェフ
1990年、青森県生まれ。2009年「菊乃井」入社。本店で8年勤務後、2017年「菊乃井 無碍山房」料理長に就任。2019年同社を退職。その後、ニューヨークの「Shoji at 69 Leonard Street」、京都の「LURRA°」「京、静華」を経て、2021年京都にオーナーシェフとして「日本料理 研野」をオープン。「現代の日本を映し出す料理」をテーマに、日本料理のアイデンティティを追求。ヒトサラ「Best Chef & Restaurant 2022-2023 U-35 シェフ賞」受賞。「ゴ・エ・ミヨ2022」3トック、「ミシュランガイド京都・大阪2023」にて1つ星を獲得。

SHARE

TEAM OF RED PROJECT

RED U-35

ORGANIZERS主催
WE SUPPORT