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RED U-35 2013 選ばれし才能たち

REPORT 2013.12.20

新時代の才能を発掘するために2013年に幕を開けた「RED U-35」。
第1回大会には国内外から451の挑戦者が集い、夢と技術とセンスを競い合いました。
約半年間に及ぶ厳正なる審査を経て、選んだ“ファイナルの才能たち”を紹介します。

 

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“グランプリ”レッドエッグ
杉本 敬三

「フランス料理は手間をかければかけるほどおいしくなる。つまり“料理バカ”である僕向きの料理です」。フランス料理を志した理由をそう明かしてくれたのは、「RED U-35」初代グランプリに輝いた「レストラン ラ フィネス」オーナーシェフ、杉本敬三氏である。氏は小学校3年生で料理人を志し、19歳の渡仏時にはすでに約10年のキャリアをもつ早熟の料理人だった。

 

その後も誰かに師事することなく“オトデイダクト(独学者)”をモットーに、ただ己が食べたいと思う理想の味を求め研鑽を重ねてきた。その料理は、本人が「ひじょうに古くさい」と称するように、古典的なスタイルである。だが、それはフランス料理を一度分解、咀嚼したうえで再構築してみせた“新たな古典”とでもいうべきもの。だからこそ氏の料理は力強く、説得力にみちあふれている。

 

最終審査で披露した料理もまた、「日本の親子丼をフランス料理として再構築」した、杉本氏らしい独創的な一品だった。そうした自身のスタイルを“江戸前寿司”にたとえてみせる。「江戸前寿司がそうであるように、フランス料理もまた最高の食材と最高の職人技が融合してはじめて至高の味を生み出すことができます。そこにはカリフォルニアロールのような派手さなはありませんが(笑)、わかる人にはわかる、誤摩化しがきかない本物の味がある。これからも時間や材料、そして手間を惜しまない、今のスタイルを続けていくだけ」。孤高の求道者はさらなる高みを目指す。

写真は、最終審査での料理作品「R.E.D. Tokyo 2013 “Ris pilaf, Egg and chicken, Don(丼),Tokyo(東京シャモ)”」

 

すぎもと・けいぞう(1979年4月19日生まれ)
フランス料理「レストラン ラ・フィネス」(東京)オーナーシェフ
料理の研修という名目で厨房に入ったのが8歳。15歳のときから全国各地でフェアや出張料理を実施し、19歳で渡仏。ボンラ ブルール(シュノンソー)、ブデュモンド(フランス)、レストランローリーヴァン(リモージュ)、レストラン・シュナンブール(フランス)等を経て現職。

 

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“準グランプリ”ゴールドエッグ
小岸 明寛

「RED-U35」準グランプリの「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン」のシェフ・小岸明寛氏は、大地からのインスピレーションを一皿に表現する。

 

そんな氏が大切にしているは、「自分の足で大地を歩け」というミシェル・ブラスの言葉。自然に敬意を払い、野菜本来の「味」を損なうことがないように、あえて「青臭さ」を引きだす調理法を用いる。九州出身の氏自身、幼いころには、春には山菜を採り、夏にアユを釣り、冬には牡蠣を獲って炭火で焼く、というように食材を通して自然と四季を身近に感じてきた。

 

若き日には人と競い合うために、自分のために料理をつくったこともあったと言うが、今では「人のために、人を喜ばせるためにクリエイティブな一皿をつくりたい」という想いを強くする。いつかは故郷の食材を使った料理を世界に発信したいとすでに次の夢を描く。

 

写真は、最終審査での料理作品「和敬清寂 ―大地―」。

 

こぎし・あきひろ(1979年10月31日生まれ)
フランス料理「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン」(北海道)料理人
調理経験 13年:シャトーレストランタイユヴァン ロブション(東京)、アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ(パリ)、ピエール・ガニェール(パリ)、ピエール・ガニェール・ア・東京(東京)を経て現職 。

 

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“準グランプリ”ゴールドエッグ
安發 伸太郎

安發伸太郎氏は、どん欲な“旅人”である。現在「ル ブリストル パリ」にて副料理長として活躍する安發氏の経歴は少々ユニーク。レジス・エ・ジャック・マルコンなど星付き有名レストランのみならず肉屋、惣菜屋、パティスリー、ワインカーブなど…、これまで1年ごとにフィールドを変えてきた。それは幅広い経験を積み、知見を広めるためであり、毎月の休みに美食を求め海外まで足を運ぶのも「己の理想とする料理」を完成に近づけるため。

 

料理にとって大事なことは「自分自身が幸せでいること。常にわくわくしていること」と語る安發氏。氏にとって充実した日々を生きることとは、理想とする料理を完成に近づける道のりにほかならないのだろう。その旅が終わりに近づいたころ、我々をどんな料理で驚かせてくれるのか。今から楽しみでならない。

写真は、最終審査での料理作品「Poireaux d’ile de France(ポワロー・ディル・ドゥ・フランス)」

 

あわ・しんたろう(1986年1月13日生まれ)
フランス料理「ル ブリストル パリ」(パリ)副料理長
調理経験 10年:肉屋や総菜屋など多彩な現場での研修のほか、Nicolas Le Bec(リヨン)、La Rotonde(リヨン)、Régis et Jacques Marcon(サン ボネ ル フロワ)、PAUL BOCUSE(リヨン)、Maison Clovis(リヨン)等を経て現職。

 

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ゴールドエッグ

関谷 健一朗

「RED U-35」が「自分を見つめ直すいい機会」になったと語るのは、「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」料理長・関谷健一朗氏だ。「これまでやってきたこと、これからやるべきことが明確になった」という。素材そのものの味を活かすために、一皿を構成する要素を厳選しつつも、華やかさを表現する――。そんな「ロブション」の美学を守りながらも、新たなスタイルにもチャレンジする。

 

「帰国したばかりのころは、フランスの伝統・文化を背景にフランス料理をつくることが僕の使命だと思っていました」という氏が、同大会で試みたのは、日本のテイストを取り入れること。フランス料理の真髄を熟知する氏だからこそ見えた何かがあったのだろう。「リスクをおかさなければ何かを手に入れることはできません」。力強い意思を感じさせる関谷氏の行く手に注目だ。

 

せきや・けんいちろう(1979年11月11日生まれ)
フランス料理「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」(東京都)料理長・シェフ
料理長調理経験 15年:第一ホテル東京ベイ(現ホテルオークラ東京ベイ)、Le Maxence(東京)、Lucas Carton(パリ)、Le Divellec(パリ)、Le Grand Vefour(パリ)、Restaurant A et M(パリ)を経て現職。

 

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ゴールドエッグ

中原 勢太

“人種のるつぼ”と言われるシンガポール。この国際都市のグルマンたちを唸らせる若き日本人シェフがいる。それが「エノテカ・ル・オペレッタ」の勢太氏だ。同地には、多様な背景をもつ美食家たちがいて、世界中から観光客が訪れる。当然味覚も千差万別。そんな状況に当初は、苦労と戸惑いも多かったと振り返る。だが、4年間イタリアで研鑽を積み「本物」に触れ、今では「日本人として生まれ、シンガポールで育ち、料理人としてイタリアで学んだ自分だからこそできることがあるはず」と思い至った。

 

そんな氏のハイブリッドな感性が発揮された繊細な一皿はだからこそ愛される。「外国で学んだものを現地の文化と融合させて外に出て行く時代になっています。他国の文化や技術を学び、極め、そして改善して行く日本の誇れる文化を世界に発信していきたいですね」。

 

なかはら・せいた(1980年9月3日生まれ)
イタリア料理「エノテカ・ル・オペレッタ」(シンガポール)料理長
調理経験14年:リストランテ アル・ファーロ(東京)、イタリアのピエモンテ、トスカーナ、シチリアで修業。オーラム(東京)を経て、2009年から現職。

 

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ゴールドエッグ

平賀 大輔

ファイナルに勝ち残った6名中4名がフランス料理のなか、中国料理の存在感を示してくれたのが、上海DOLL BY WAKIYA料理長、平賀大輔氏だ。「いわゆる“中国料理”のイメージを変えたかった」との想いでこの世界に飛び込んだ氏の料理は見た目にも美しくヘルシーで、しかし口に含めば紛うことなき中国料理という洗練されたもの。そんな氏が大きな影響を受けたと語るのは、ヌーベルシノワの先駆者として知られる脇屋友詞氏である。

 

そんな師のDNAをしかと受け継ぎながら、和食の技法や和食器を取り入れるなど他ジャンルのアイディアをどん欲に盛り込み、少しずつではあるが自分のカラーを出しつつある。「僕が目指すのは中国料理店でありながら、フレンチやイタリアンの人気店がそうであるように、女性に喜ばれるもの」。ブレない意志をもつ気鋭の料理人は己の進むべき道をしっかりと見据えている。

 

ひらが・だいすけ(1980年3月9日生まれ)
中国料理「上海DOLL BY WAKIYA」(神奈川)料理長・シェフ
調理経験14年:トゥーランドット游仙境(横浜店、赤坂店、晴海店)、Wakiya一笑美茶樓(東京)、Wakiya 迎賓茶樓(東京)を経て現職。

 

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以上、6名の掲載写真
Article originally published in DEPARTURES Magazine Japan, Spring 2014

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