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RED U-35 2014 選ばれし才能たち

REPORT 2014.12.20

料理界に衝撃を与えた初大会に続き、二代目スターに我こそはと名乗りをあげた355名。
様々なお題のもと、審査員に自らの熱い思いをぶつけました。
約半年間に及ぶ厳正なる審査を経て、選ばれた“若き才能たち”を紹介します。

 

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“グランプリ”レッドエッグ
吉武 広樹

“自由”を糧に世界に挑む

 

「世界で勝負する料理人を応援するRED U-35の意義は大きい。それはまさに僕が求めていたこと」と語る吉武広樹氏。 その活躍の舞台は、フランスはパリ、ノートルダム寺院近くの静かな小路に佇むレストラン「Restaurant Sola Paris」だ。 その厨房は、吉武氏の自由な創造力と意欲に惹かれて集った若き日本人スタッフの熱気に満ちていた。「ここにいるのは限られた時間でより多くのことを学ぼうとするモチベーションの高いスタッフばかり。 仕事と私生活の割合が、フランス人は半々なら日本人は8対2。フランス人は私生活の経験をクリエイションに生かし、日本人は仕事の経験値から高い技術とアイデアを得る。文化のちがいでしょうか」。 そう語る吉武氏は、日本とフランス双方の垣根を越えて、料理人として自身の姿を冷静に見据えているかのようだ。

 

少年時代に目にした「料理の鉄人」で華やかに活躍するシェフたちに魅了された吉武氏は、福岡の調理師学校を経て、憧れの坂井宏行シェフに師事するべく東京へ。 フランス料理の世界に没頭した東京での6年間の後に、居酒屋や中華、イタリアン、割烹、タイ、ポルトガル料理店などさまざまなスタイルのお店を、ときには1日に何件も掛け持ちしながら研鑽を積んだ。 それは「人気店といわれる店を内側から見てみたかった」から。生来の好奇心はその翌年、世界一周の旅へと彼を誘った。 アジア、中東、北アフリカ、ヨーロッパ、アメリカを廻り、各地の市場の食材に目を見張り、料理し、ともに食す人びととの出会いに料理人という仕事の歓びを再認したと言う。 なかでも「一番刺激的だった町が当時のパリ」だった。そして、2008年に渡仏。フランス料理の新潮流渦巻く話題店で働きながら、頼まれれば週末も他店のシェフとして厨房に立った。

 

「僕の料理のスタイルはひと言で表せば“自由”。生き方ですか? それはただ、目の前のすべてに対して“一所懸命に生きる”こと」。 その言葉を支えるのは、直感を大切に状況に対してつねに真摯に精一杯向き合ってきた軌跡にほかならない。「今、興味があるのは“クラシック”、そして自分の“ルーツ”です」。 自由を志すからこそ、受け継がれるべきものの真意や自身を支える故郷の文化に惹かれるのだろう。それは「視野を世界に向けて挑戦し続けたい」という吉武氏の熱き想いの表れでもある。

写真は、最終審査での料理作品「『故郷』伝統ー革新」。


よしたけ・ひろき(1980年8月8日、佐賀県生まれ)
フランス料理「Restaurant sola paris」(パリ)オーナーシェフ
調理師学校卒業後、東京で坂井宏行シェフに師事。26歳で1年間世界1周の旅に。帰国後2008年に渡仏。パリの話題店で経験を積み、10年にRestaurant Sola Parisをオープン。12年よりミシュラン1つ星を維持。

 

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“準グランプリ”ゴールドエッグ
関谷 健一郎

日々の進化の先にある完璧な一皿

 

「フランスの食文化や歴史をふまえ、そこに日本人としての感性を付け加え、完璧な一皿をつくること。それは“馳走”という言葉に集約することができます」と自らのコンセプトを語る関谷健一朗氏。馳走とは、客人の食事を用意するために馬を走らせ食材を集めたことが謂れ。世界中の最高の食材をそろえ、もはや何も足すことも引くこともかなわない一皿を目指す関谷氏は、完璧主義者として知られるジョエル・ロブション氏のDNAを確実に受け継ぐ。

 

「料理はひとりでつくるものではありません。シェフとして厨房をまとめてはじめて理想の味ができる。準グランプリに終わったものの、うちで働く若手料理人たちに、自分たちのやっていることが評価に値する仕事であることを示せたのではないかと思います」と振り返る。その双肩にかかる重責は小さくない。「ジョエル・ロブションという看板も、ミシュランの星も、日々進化を遂げてはじめて維持できるものだと思っています」。その先にある究極の一皿を目指し、今日も厨房で指揮をふるう。

写真は、最終審査での料理作品「"LE HOMARD BLEU 2014" 馳走.....。」

 

せきや・けんいちろう(1979年11月11日、千葉県生まれ)
フランス料理「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」(東京都)料理長・シェフ
20代前半で渡仏し、Lucas Carton(パリ)、Le Divellec(パリ)、Le Grand Vefour(パリ)、Restaurant A et M(パリ)等を経て、ジョエル・ロブション氏に認められ26歳でL'ATELIER de Joël Robuchon(パリ)のスーシェフに。2010年より現職。

 

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ゴールドエッグ
兼子 大輔

変化を恐れず我が道を行く

 

最終審査で兼子大輔氏が提出した料理「仔鳩のスティックパイ」は、審査員らの賛否両論を呼んだ。その結果について兼子氏は「僕らしい」と言う。その冷徹な眼差しによって広く料理業界を見渡し、己の進むべき道を見定めてきた。5,000円の1コースでありながら連日予約で埋まるレストランはその結果である。自らのエゴを押し付けるのではなくお客のニーズを満たしつつ、己のパーソナリティを忍ばせる、実にマーケティングセンスに優れた料理人だ。「先人たちと同じことをするだけなら、我々の存在意義はありません。社会がさまざまに変化するなか、料理人だけが変わらないなんてことはあり得ないでしょう」と語る兼子氏は、大会を機に新たな境地へと歩を進めつつある。

 

「2015年はレストランに加え、料理人が提案する食のマーケットとでもいうべき新事業を展開する予定です」。料理業界にどのようなインパクトを与えてくれるのか、その動向に熱い視線が向けられる。

 

かねこ・だいすけ(1979年12月6日、広島県生まれ)
フランス料理「L'AS」(東京)オーナーシェフ
調理師専門学校卒業後、ラ・ベカス(大阪)、コート・ドール(東京)で修業を積み2006年に渡仏。09年に帰国後カラペティ バトゥバ!(東京)のシェフを務め、12年にL'AS(東京)をオープン。

 

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ゴールドエッグ

福嶋 拓

中華料理の新たな可能性を求めて

 

「Wakiya」で研鑽を積むこと10年。30歳という区切りの歳を迎え、これからの10年のために自らを試すべく大会に挑戦した。「さまざまなジャンルで腕を振るう同世代の料理人たちが世界を見据えていることを知り、大きな刺激を受けた」と言う。これまで以上に、広い視野に立ち料理をコーディネートしていきたいと考えている。「中華料理を、もっと多くの人たちに愛される料理にしていきたい。食材も技法も奥深く、料理としてまだまだ大きな可能性を秘めている、そこが中華料理の大きな魅力」。

 

そんな氏の志が形となった料理が、最終審査で披露された「紅寳香焗肉~紅玉と豚の香り焼き~」である。「まず食材の“紅玉”ありきで考えた」という。紅玉の甘さと酸味の絶妙なバランスが豚肉の芳ばしい味わいと旨みをいっそう引き出してみえた。中華料理という世界でどんな新たな風景を見せてくれるのか、今後の氏のチャレンジに注目したい。

 

ふくしま・ひらく(1984年6月9日、山形県生まれ)
中華料理「Wakiya一笑美茶樓」(東京)役職付き料理人
高校時代は野球に打ち込むスポーツマン。高校卒業後、中華料理人を志し上京。2004年Wakiya一笑美茶樓に入社。調理経験年数10年。「さらにチャレンジをすると同時に、恩返しをしたい」と語る。

 

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ゴールドエッグ

前川 浩一


人の記憶に残る料理をつくりたい

 

多くを語らず、黙々と仕事をする九州男児。大会には自分の力を試すべく挑戦した。「出汁を大事にしている和食で、鰹出汁では面白みがないので、出汁=いろんな食材から出るエキスだと捉えて、牡蠣の濃厚な味と牛乳で調理しました。大会後、食感、香り、見た目の変化をつけるべきだったなと反省した部分も」と語る前川浩一氏。地元長崎のホテルで修業をはじめた当初は、厨房に籠もりただ黙々と料理を生産する単調さに戸惑うこともあった。「今はお客さまから辛口の声を聞くこともありますが、ダイレクトな反応が嬉しくもあります」。

 

予約が引きも切らない「祇園ささ木」に入り、師匠の言葉である“楽しい食事”が今の自分のテーマ。「自分の料理を追求している真っ最中。おいしい料理を作る人はごまんといます。そんななかで僕は思いのある料理、人の記憶に残る料理をつくりたいんです」と静かに熱く、そして揺るぎない意思を語る。

 

まえかわ・こういち(1982年8月24日、長崎県生まれ)
日本料理「祇園さヽ木」(京都)役職付き料理人
長崎のホテルの和食部門、関西のホテルや割烹で働いた後、祇園 さヽ木(京都)へ。研鑽を積み、2014年には料理長に就任。13年は2次審査通過にとどまったが、2014年は3次審査を通過し、ゴールドエッグを獲得。

 

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ゴールドエッグ

前田 裕紀

感動を呼ぶ日本料理を目指して

 

「日本の食文化」をテーマにチャレンジした大会の料理。審査員からの「季節のない国だったらどうする?」との問いに戸惑った。四季のみならず二十四節気までも考えて旬の食材を取り合わせる日本料理から、季節感を除いたら何が残るのだろう……。「どんな場所でも、そこにある食材を活かせる日本料理をつくろう。洋食器で出す肉じゃががあってもいい。とにかく日本料理の心が伝わればいい。そんなふうに、深く掘り下げて考えてみると、見えてくることがありました」。和食の常識からはみ出たものがいつしかスタンダードになることもある。大会を通して、料理人として新たな何かを見つけていく楽しさを感じていたという。

 

夢は、日本の食文化を発信する店やカジュアルな和食店、あるいはパリへの出店などふくらむばかり。「あれもこれも実現できるのかと言われます(笑)。ともあれ、究極の目標は料理で人を感動させること。それにつきます」。

 

まえだ・ひろのり(1989年2月13日、埼玉県生まれ)
日本料理「京都 吉兆 嵐山本店」(京都)料理人
大学進学をやめて、2007年に京都吉兆入社。煮方、焼き方などを一通り担当。2013年のブロンズエッグ(1次審査通過)に続き、2014年は3次審査を通過。ゴールドエッグを獲得。

 

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以上、6名の掲載写真
Article originally published in DEPARTURES Magazine Japan, Spring 2014

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