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RED U-35 2015 選ばれし才能たち

REPORT 2015.12.20

第3回を迎えた、2015年。
一次審査「日本米のイノベーション」に立ち向かったのは465名の挑戦者たち。
審査員団も一新し、今までにはない合宿審査も組み込まれました。
厳しい戦いを勝ち抜いた若き勇姿たちをご紹介します。

 

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“グランプリ”レッドエッグ
篠原 裕幸

目指すは本場・香港のミシュラン星付きシェフ

 

日本の中国料理界のさらなる発展に寄与すべく参加した「RED U-35」で、亡き母との約束を果たし、みごとグランプリの栄冠を手にした篠原裕幸氏。その夢は「広東料理の本場、香港で日本人シェフとしてミシュランの星を獲得すること」である。その原点は、母の故郷である岡山のレストランで食した中華料理、そして18歳の夏に体感した本場の広東料理。氏の料理人としての旅はここからはじまった。

 

「赤坂璃宮」の譚彦彬氏のもとで7年間の修業を積み、その後はザ・ペニンシュラ東京の「ヘイフンテラス」など、名だたる名店で腕に磨きをかけた。それだけでは飽き足らず、さらなる飛躍を求め香港に渡り、約2年間修業を積んだ。「とんでもない忙しさだった」という、活気に満ちた厨房では、広東料理の基本料理である子豚の丸焼きなど、日本ではめったに手にできない素材と日々対峙。本場の“味”を文字どおり体感し、着実にスキルアップを果たして帰国した後は、食材の味をよりクリアに表現する料理を志向し、東京・西麻布の「海鮮名菜 香宮」を舞台に腕を振るってきた。

 

着実に夢への階段を駆け上がってきたかのようにも思えるが、ときには、理想と現実―篠原氏が本場で体感し、日本においてさらに深めつつある広東料理と、お客が“中国料理”に抱くイメージ―とのギャップに悩んだこともある。だからこそ、「RED U-35」へのチャレンジをとおして、“広東料理”の魅力を世に広く知らしめたかったのだ。

 

「シャンタンスープの澄んだ味わいと、丁寧に火入れをした食材のおいしさと温かさ、そして繊細な香り」。これこそがほかの料理にはない広東料理の魅力だと語る篠原氏は現在34歳。目指すは、本場・中国でミシュランの星を獲得すること。大会で改めて気づいたウィークポイントの克服も含め、課題はあるものの、夢の実現を見据えている。

 

「肉料理をジューシーにするために繊細に火を入れる技術など、日本人だからこそできる広東料理があるはずだと思っています。今のスタイルをさらに極め、自分らしさ、そして日本人らしさを加味した料理で、香港で勝負したい。それも、すべてに自分の手が届く規模の小さなお店で」。日本の中国料理界を盛り上げ、若手料理人に目標とされるような料理人になること。そして“日本人料理人として本場で星を獲得する”という壮大な“夢”は今、より具体性を帯び“現実”のものとなりつつある。

 

しのはら・ひろゆき(1981年、埼玉県生まれ)
中国料理「sorber company」(上海)
「赤坂璃宮」やザ・ペニンシュラ東京「ヘイフンテラス」などで修業後、香港では、「赤坂璃宮 銀座店」創業時の料理長・朱遠威氏のもと、数多くの広東料理店で腕に磨きをかける。帰国後、2011年11月に「海鮮名菜 香宮」へ。2013年1月より現職。

 

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“準グランプリ”ゴールドエッグ
野田 達也

共感力と想像力が実を結ぶクリエイション

 

「出会った人びとに感謝の意を伝え、喜んでもらえる職業は何だろう」。そう自問した野田達也氏が導き出した答えは“料理人”だった。  これまでの人生を振り返ってみても、出会いには恵まれてきたと感じている。たとえば、フランス料理の料理人を志し福岡から上京した氏を迎えてくれた「ラ・ファソン古賀」の古賀義英シェフのもとでは、仕事への姿勢を学び、さらなる高みを目指し飛び込んだ「Passage 53」の佐藤伸一シェフのもとでは、料理への飽くなき探究心に感化された。こうしたさまざまな料理人との出会い、そしてそのスタイルに触れることで料理人としてはもちろん、人としても成長できたと実感している。

 

そんな氏の料理には、“さまざな出会いに感謝し、人が笑顔になれる料理をつくること”という素朴だが力強い信念に満ちあふれている。それは持ち前の類い稀なる共感力と想像力がなせる技だろう。

 

今回の「RED U-35」ファイナリストたちとの出会いもそう。  「彼らの目指すもの、料理を通して伝えたいことは、どれも刺激になりました。彼らとの絆は、これから大変貴重な財産になるはずです」。

 

大会を通してさまざまな刺激を受けたという野田氏。次なる目標は、“料理”を武器に、故郷である福岡をはじめ日本の魅力を、国内外に発信すること。そして、料理人のみならずさまざまなジャンルのクリエイターや、食材とその生産者の架け橋となり、それらが集う拠点をつくること。具体的なプランはこれからだが、無限の可能性を秘めた未来に向け、野田氏はすでに確かな足取りで歩きはじめている。


のだ・たつや(1985年、福岡県生まれ)
フランス料理「ラ・リュシオール」(東京)スーシェフ
「コム・シェ・ヴ」(東京)、「Passage 53」(パリ)、「ル・マンジュ・トゥー」(東京)、「ル・ヴァンキャトル」(東京)を経て、「ピルエット」(東京)ではスーシェフ。2016年3月より現職。

 

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ゴールドエッグ
加山 賢太


“うまいもの”を自然体で

 

「最終審査では、問題に対処する引き出しの少なさなど、自分に足りないものが見えてきました」と語る加山賢太氏。料理人を志したのは、小学校の低学年のころ。料理人である父親の姿を見ているうち「自然と心に決めていた」そうだ。

 

徳島の料理専門学校卒業後は、東京の名だたるレストランで修行したが、なかでも影響を受けたのは、専門学校時代の講師でもあった神田裕行氏の名店「日本料理 かんだ」だった。「日本料理がもつ素材の味を引き出す技術に、感銘をうけました」。

 

今回の大会予選で加山氏が提案したメニューのひとつはブイヤベース、自身の店舗でのスペシャリテはコンソメスープ。どちらも素材のうまみを極限まで引き出すメニューだ。最先端のガストロノミーから日本料理までさまざまな技術を習得し、それを磨き続けてきた加山氏だが、その姿はあくまで自然体。「今後も目の前の素材を活かした“うまいもの”で、お客さまをもてなしたい」と語る加山氏の次なる挑戦に期待したい。

 

かやま・けんた(1984年、広島生まれ)
フランス料理「Margotto e Baciare」(東京)シェフ
調理専門学校卒業後、「モナリザ」、「ラトリエ・ドゥ・ロブション」、「リューズ」、「カンテサンス」のほか、「日本料理 かんだ」でも修行。2015年9月より現職。

 

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ゴールドエッグ

倉田 政起

日々の積み重ねを大切に

 

「大会出場の感想を尋ねたとき、倉田政起氏から口をついて出てきたのは、大会運営者たちへの感謝の言葉だった。料理や料理人の社会貢献についても深く考えるなど、視野の広い倉田氏ならではだ。

 

2015年にオープンさせた自身の店「蕎麦割烹 武蔵小山 くらた」では、「お客さまに“この店にきてよかった”と思っていただくため、料理、接客、店舗のしつらえの3つのレベルをすべて高くする」ことを目指している。伝統の懐石料理を柔軟に解釈した名店「神谷」で12年、「誰よりも多くの料理をお客さまにお出ししてきた、経験の積み重ねがある」という倉田氏。

 

「今後は、目の前のことに誠実に取り組みながら、自分の考える日本料理や自身の店舗を“深化”させていきたいと思っています。この武蔵小山という地に根を張り、日々お客さまと相対しながら、料理という文化を通して地域や日本の役に立ちたい」と語る氏が、今後どのような料理を生みだすのかに注目だ。

 

くらた・まさき(1980年、長野県生まれ)
日本料理「蕎麦割烹 武蔵小山 くらた」(東京)オーナーシェフ
辻調グループ学校卒業後。日本料理「神谷」(東京)にて12年間腕を振るい、2015年1月に「蕎麦割烹 武蔵小山 くらた」を開店。「毎日の積み重ねで、少しずつ店をよくしていきたい」と語る。

 

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ゴールドエッグ

宮崎 剛次

独自のスタイルで表現

 

「一流の“料理人”になる前に、かっこいい“人”になりたい」。そう語るのはゴールドエッグの宮崎剛次氏だ。ニューヨーク、そしてパリ……。世界の流行発信地とされる2都市でクールなカルチャーを体感し、ミュージシャンやファッションデザイナー、あるいはラッパー、スケーターらの作品やライフスタイルに多大なる影響を受けながら、己のスタイルを追求する。

 

「有名店での修業は、今在籍している「Passage 53」くらいのもの。でも、センスとそれなりの努力さえあれば、ここまで行けるということ、そしてスタイリッシュな料理人もいるんだ、ということをレッドエッグを獲得して世の中に証明したかったんですけど……」。

 

己の現状に対する想いを抱きながらも、技とセンスを磨き、虎視眈々と“その時”を待っている。「ミュージシャンにまちがわれることもある」と言う料理人らしからぬ風貌そのままに、既存の料理界にはない新たなスタイルを提示してくれる日は近いはずだ。

 

みやざき・つよし(1981年、長崎県生まれ)
フランス料理「Passage 53」(フランス)スーシェフ
福岡、NYのレストランを経て「Passage 53」(フランス)へ。2013年より現職。

 

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ゴールドエッグ

米澤 文雄


目指すはニューヨーク凱旋

 

未知なる世界への好奇心と漠とした夢を抱きニューヨークへと降り立った若き米澤文雄氏。吸い寄せられるようにして門を叩いたのは「現地で評判のレストランのなかでも最も輝いて見えた」と言う「Jean-Georges」だった。

 

若干22歳。厨房内の日本人は米澤氏ただ一人。それゆえの苦労や不安もあっただろう。しかしそれ以上に、そこで目にした斬新な料理の数々はもちろん、統率がとれ、向上心のあるスタッフたちに瞬く間に魅了され、夢中で働き、最後の1年はスーシェフを務めるまでになっていた。

 

現在35歳。いずれはニューヨークで自分のお店を開くつもりだ。元同僚たちの活躍も刺激になっていると言う。ハードルの高さを自覚すると同時に、それを乗り越える自信もある。「日本の食材の新たな可能性を提示しながらも、時代に左右されないシンプルなもの。“純粋においしい”と言ってもらえる料理」で勝負をかける。近い将来、彼の地で活躍する米澤氏のニュースが届けられることだろう。

 

よねざわ・ふみお(1980年、東京都生まれ)
フランス料理「Jean-Georges Tokyo」(東京)シェフ
高校卒業後、「トラットリア イル・ボッカローネ」(東京)などを経て、その後ニューヨークへ。22歳のときに「Jean-Georges」と出会う。「レストラン 57」(東京)、「MLBCafe Tokyo」(東京)、などを経て現職。2015年の「Jean-Georges Tokyo」オープンより現職。

 

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以上、6名の掲載写真
Article originally published in DEPARTURES Magazine Japan, Spring 2015

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