CLUB RED 特別対談 今、海外で働くということ
・狐野 扶実子(食プロデューサー・コンサルタント / RED U-35 2022/23/24審査員長)-NY-
・島野 雄(Restaurant Yuu オーナーシェフ / 2015 ブロンズエッグ)-NY-
・澤井 隆太(Blanc シェフ・ド・パルティ / 2022 ゴールドエッグ)-PARIS-
世界が注目するのは日本の美食、ばかりではない。海外における日本人料理人の活躍もまた世界の知るところである。では、彼らはなぜ海を越えたのか。そして今、何を見て、何を考えるのか--その現実を知るべく、現在米国・ニューヨークを拠点に多彩な活躍を見せる「RED U-35」審査員長 狐野扶実子氏のもと、「Restaurant Yuu」を2023年米国・ニューヨークのブルックリンにオープンさせ、わずか4カ月でミシュラン1つ星を獲得した島野 雄氏と、「RED U-35 2022」決勝で注目を集め、現在フランス・パリ「Blanc」のシェフ・ド・パルティを務める澤井隆太氏という気鋭の料理人が集結。海を越えた鼎談が実現した。
海を渡ったそれぞれの理由
狐野扶実子氏(以下狐野):今回は海外を拠点に活躍されている料理人の方々にお越しいただきました。まずはご自身が今、どんな場所で、どんな活動をされているのかを教えてください。
澤井隆太氏(以下澤井):僕は今フランス・パリで、かつて「Passage 53」を率いたシェフ 佐藤伸一氏の新たなレストラン「Blanc」でシェフ・ド・パルティとして働いています。こちらに来てまだ1年8カ月あまり。まだまだ自分のやりたいことがなかなか実現に至らないもどかしさを抱えながらも、ワイナリーでの研修など、活動の幅を広げるべくさまざまなことにトライしているところです。
島野雄氏(以下島野):僕もパリには8年間いました。そして今、米国・ニューヨークに拠点を移して8年目。2023年にオープンしたフランス料理レストラン「Restaurant Yuu」のオーナーシェフをしています。このレストランは、事業計画書の段階からレストランのデザインに至るまで、すべてを一から自分の手でつくりあげたもの。そんな僕の姿を若い世代が見て「いつか自分も!」と憧れてもらえるような料理人を目指して奮闘中です。
狐野:私もフランスで活動していましたので、私たちの共通点はフランスですね。澤井さんがパリで仕事をすることになったきっかけはなんでしょう?
澤井:お世話になったレストランの先輩方が海を渡りフランスで活躍されている姿を見たり、パリのミシュラン星付きレストランで務めた経験のある方々から現地の話を聞くにつれ、いずれ自分もフランスへ、という夢が膨らんでいきました。僕の信念は「知らないことを知ること。それこそが本当の自分を知ることであり、世の中を知ることでもある」というもの。そのためには、現地に行く以外の選択肢はないように思いました。
狐野:やはりパリを知る方々の話を聞くと、自分もそこで同じものを体感したくなるし、未知なる風景を見たくなりますよね。
澤井:そのとおりです。実際、こちらには日本にはない食材がたくさんあります。そうした未知なる味わいに触れることができる日々に、料理人として大きな幸せを感じています。
狐野:島野さんはパリを経てニューヨークに拠点を移されました。フランスではなくニューヨークを選んだのはなぜだったのでしょうか?
島野:フランスに渡ったのは22年前。当時は今のようにSNSもありませんでしたので、周りの状況や自分の立ち位置など、何もわからないままただ闇雲に頑張っているだけ。それゆえ具体的な目標が見出せず、辛くてやめようと思ったことも何度もありました。料理人としてはじめて自信がもてたのは、当時3つ星だった「ギィ・サヴォワ」に在籍し、ソースを担当したときですね。ニューヨークを意識するようになったのは33歳くらい。当初は「フランス語も話せて、ニューヨークで活躍する料理人ってあんまり見たことがないよな」という軽いノリでした。先日久しぶりに訪れたときに改めて思いましたが、ゆったりした空気の流れるパリはいいですね!
異文化をインスピレーションの源に
狐野:活気のあるニューヨークも刺激的ですが、食材などフランスには敵わない面もあると感じるので、澤井さんが羨ましいです。私が「アルページュ」や「フォション」で仕事をしていた当時、周囲には日本人がほとんどおらず、またアジア人女性ということで辛い経験をしたこともありましたが、澤井さんには文化の違いなどで困惑することはありますか?
澤井:当初は言葉の壁があり、日本で培った技術など伝えたいことがたくさんありながら、それがままならないもどかしさを抱えていました。もうひとつは、日本とは異なる野菜や肉、魚の味や質感の違いなど、ですね。ただ、生活面ではスマートフォンのおかげもあり、今のところそれほど困っていることはありません。
狐野:私が最初に渡仏した1993年には、SNSはもちろん、スマホもなかったので……。そんなところも羨ましいです。島野さんはパリからニューヨークに来て大変だなと感じたことはありますか?
島野:戸惑ったのは、料理の味わいを誰に合わせるか、ですね。フランスではフランス人に合わせればいいのですが、さまざまな人種がいるニューヨークではそういうわけにもいきません。そこは一番悩んだところかも。また、アジア人に対する蔑視が根強いこの地に来て「アイデンティティ」という言葉をより強く意識するようにもなりました。よく考えてみれば、日本人である僕がニューヨークでフランス料理を提供するという状況は、「米国人が京都で中国料理レストランをやっている」ようなもの。しかし、こうしたことが受け入れられるのもまた、ニューヨークという街の特色なのだと思います。悩んだこともありましたが、最近は色々と吹っ切れまして、日本人である僕がニューヨークで、しかもフランス料理の解釈を広げ、新たな文化を生み出していることに興奮しています。
狐野:澤井さんが深く頷いています。
澤井:僕はまだシェフの立場で料理をしていないので、ただただ素晴らしいなと思って聞き入っていました。
狐野:島野さんは異なる文化に触発されるようにして、自分のクリエイションをどんどん進化させているのですね。島野さんがおっしゃるように、ニューヨークは多彩な文化を受け入れる街。日本食も同様です。この街で日本食レストラン事業を展開したいという人も少なくありませんし、エレベーターでたまたま居合わせた人に、「美味しい食べ物が多い日本は素晴らしい」と話しかけられることも。日本の経済面は元気がないかもしれませんが、円安の影響もあり来日観光客が増えている今こそ、日本をアピールする絶好のタイミングでもあるのかなと感じています。
料理人から見た世界の動き
狐野:日本に対する関心度の高さなど、海外にいるからこそ気づくことがあると思います。世界では今、さまざまなことが起こっています。お二人は今、料理界以外の社会情勢をどのような視点で見ていますか?
澤井:フランス・パリに来てちょうど1〜2カ月が経ったころ、ゴミ回収業者のストライキによって、1カ月間ゴミが回収されずにそのままになってしまったことがありました。なかにはゴミを焼く人もいたほどです。そんな混乱の最中に改めて気付かされたのは、我々が日々実にたくさんのゴミを出している、ということ。さらなる気候変動など環境問題に対して料理人にできることがまだまだあるのではないかと、本当に微力ながら考え続けているところです。
狐野:微力だなんて! そんなことありませんよ。「RED U-35 2022」の最終審査で見せてくれたミカンを摘むパフォーマンスには感銘を受けましたし、多彩なアイデアをもつ澤井さんの今後もとても楽しみにしているんですから。
島野:自分は料理人であると同時に経営者でもあるので、経済をとおして世界を見ることが多いです。米国で驚くことは、大統領の交代が日常生活に及ぼす影響の大きさ。首相が変わったくらいではほとんど何も変わらない日本では考えられないことかもしれません。大統領選挙や長引く戦争の影響など、この土地ではどうしても社会の動きに敏感にならざるを得ませんね。
狐野:米国では上がり続ける物価に対して誰もストップをかけようとしない。そんなイメージがあります。そもそもニューヨークは、短期的な滞在を前提とした人が集う都市なので、市民意識といったものが醸成されにくいのかもしれません。一方、市民の力が強いフランスでは、社会問題に対してSNSだけではなくデモ行進などで権力に対して異を唱えることが珍しくありませんよね。だからこそ、料理人もまた政治への働きかけなどさまざまな努力の結果、その地位が高められてきた側面もあるのでしょう。
澤井:確かに日本とは比べものにならないほど、料理人の社会的地位の高さを実感します。
狐野:では、日本における料理人の地位を向上させるには、どのような変化が必要でしょうか?
島野:世界的にみても日本人料理人の実力が高いのはまちがいありません。しかし、フランスや米国などと比べるとその社会的地位も年収も低い。日本では、美味しいランチを1,000円で提供して、100食売れたとしても売り上げは10万円だけ、というケースが珍しくありません。レストランの数が多すぎるために起こる価格競争とも無関係ではないでしょう。ちなみにニューヨークではたとえ1億円の資金があったとしても、さまざまな制限があり日本のようにすぐにお店を出せるとは限りません。そうした許認可制度の見直しも必要なのかもしれません。そして何より、美味しいものを作ることはもちろん、マーケティングを有効に活用することで料理人の可能性の幅を広げ、価値を高めることも重要です。料理人の地位向上には、サッカー界におけるメッシのように、得点を決めるスーパースターを作り出すことも重要だと思います。
「CLUB RED」の輪を海外へ
狐野:実は近年、「RED U-35」では、海外からの参加者が増えていないんです。今後、さらに増やしていくためにはどうしたらいいと思いますか?
澤井:日本で開催される大会なので仕方がないことかもしれませんが、海外にいるとどうしても距離感を感じてしまうのも事実です。審査員の方々や「RED U-35」のRED EGGが僕の暮らすパリなどに来ていただき、海外を拠点に活動する応募経験者や、彼らが推薦する料理人らとの交流会を開催するというのはどうでしょう? 海外にいても、「RED U-35」との距離が近くなると思います。
狐野:なるほど、それはぜひ実現させたいですね。
澤井:「Blanc」では日本人スタッフが多いので「RED U-35」の話題が出ることもありますが、現地スタッフが大勢を占める職場では、その限りではないでしょう。出場したいと思っても、身近に相談できる人がいないケースも多いはずです。
狐野:現地料理人の日本人コミュニティみたいなものはあるのでしょうか?
澤井:身近なところでは2024年大会に応募した人、来年の挑戦を検討している人もいますが、とはいえ2〜3人ほど。ですから、「CLUB RED」のような規模でイベントなどを企画したほうが、こちらでの注目度は高くなると思います。
島野:そもそも海外で働く日本人料理人が減っているような気がします。国内のレベルが高いので「わざわざ海外で修行する必要はない」と考える人が少なくないからだと思いますが……。ただ、うちには研修させてほしいという人がたくさん来てくれていて、そんな彼らを見ていて思うのは、研修受け入れ先の紹介など、「CLUB RED」に入るメリットがあってもいいかもしれない、ということ。また、動画を見た料理人が自分も参加したくなるようなイベントを「CLUB RED」のメンバーで企画するのもいいかもしれません。
狐野:それも面白い。ぜひ企画書にしてください!
それぞれの目指すところ
狐野:最後に、料理人としての将来像を教えてください。
澤井:僕が大切にしているのは生産者さんとの繋がり。周りに生産者さんがいるようなフランスの地方で、漁師さんやお肉屋さんのもとにも頻繁に足を運び、たとえば魚の神経〆など、僕が日本で得た技術を伝えていきながら、互いに密な関係を築くことのできるシェフになること。ちなみに魚屋で働いていた経験のある僕には、適切な配送・梱包方法の知識もあるので、それを利用することで地方の漁港から神経〆した魚をパリに送ることもできるかもしれません。そうすればその魚屋はパリでも知られた存在になるはずです。たとえば、そんなことを積み重ねながら地域活性化の中心として、いろんな人を繋ぐことのできるレストランをつくりたいと考えています。
狐野:地域活性化の中心になる、という発想はとてもワクワクさせられます。ぜひ、実現させてください。島野さんはいかがですか?
島野:僕の夢はニューヨークでミシュラン3つ星のシェフになること。1つ星を獲得した状況ですでにトップシェフとされる人びとが集うコミュニティの一員として認められています。さらなる星を獲得することで、僕自身の社会的影響力も増すでしょう。僕には、少なくとも自分の家族、仲間、業者さんたちをさらに幸せにしなければならない義務があると思っています。そのためにも影響力のある有名シェフになる必要があるのです。3つ星シェフを目指し、もっともっと技術を磨き美味しい料理を提供し続けていきたいです。
狐野:ご自身の理想を追求するお二人は、「RED U-35」にチャレンジする若手料理人にとって憧れの存在です。ぜひ、そのまま夢の実現に向かって進んでいってほしいです。本日はとても興味深いお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
text by Moji Company
狐野扶実子 / 島野雄 / 澤井隆太
狐野 扶実子(食プロデューサー・コンサルタント)
パリの老舗「FAUCHON」のエグゼクティブシェフを経て、アラン・デュカス氏主宰の料理学校で非常勤講師を務める。著書『La cuisine de Fumiko』がグルマン世界料理本大賞でグランプリ受賞。2022年AMBASSADOR OF TASTE 日本代表。
島野 優(Restaurant Yuu オーナーシェフ)
「RED U-35 2015」ブロンズエッグ。1982年、兵庫県生まれ。辻調理師専門学校(大阪校、フランス校)卒業後、「ギィ・サヴォワ」(当時3つ星)をはじめ、フランスのさまざまなミシュラン星付きレストランで研鑽を積み、2023年に米国・ニューヨークのブルックリンに「Restaurant Yuu」をオープン。そのわずか約4カ月後にミシュラン1つ星を獲得し、一躍話題のレストランに。さらなる星の獲得を目指している。
Chef Profile 島野優
澤井 隆太(Blanc シェフ・ド・パルティ)
「RED U-35 2022」ゴールドエッグ。1992年、奈良県生まれ。辻調理師専門学校卒業後に、和歌山の「オテル・ド・ヨシノ」に入社。その後、「ル・マンジュ・トゥー」(東京・神楽坂)にて研鑽を積み、現在はフランス・パリ「Blanc」のシェフ・ド・パルティを務める。
Chef Profile 澤井隆太