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特別対談 日本橋の「歴史」と「食」が融合して生まれる革新

野田 達也(nôl)×柿野 陽(三井不動産株式会社)

INTERVIEW 2021.10.11

RED U-35 2021 ONLINE 特別対談「料理人と企業が手を組み、食の未来のためにできること」

日本橋の「歴史」と「食」が融合して生まれる革新
・野田 達也(nôl ディレクター)
・柿野 陽(三井不動産株式会社 日本橋街づくり推進部)


RED U-35で2度準グランプリに輝き、現在はフリーランスの料理人としてnôl(日本橋馬喰町)の料理人兼ディレクターを務める野田達也氏と、日本橋の街づくりを最前線で担う三井不動産株式会社 日本橋街づくり推進部の柿野陽氏。日々、日本橋の魅力について考え行動するふたりの対談から浮かび上がったキーワードは、“街のサステナブル(持続可能性)”だった。

普段の仕事を言語化することの意義

柿野 我々、三井不動産という会社は、飲食店を含む街づくりを通して食を伝える役割を担っていると思いますが、実際に料理をしているのは料理人の皆さんです。そこで、若手料理人が輝けるフィールドづくりに貢献できればという思いで、RED U-35 2021 ONLINEのパートナー企業として参加することにいたしました。RED U-35は、調理技術のみならず、料理人としての思考力や発信力など、総合的に評価されるコンペティションですよね。

野田 そうなんです。RED U-35では、日常の仕事では考える機会のない課題を与えられ、それに対して自分の答えを導き出すことが求められます。そのために、自分のやりたいことや、日頃取り組んでいることの意味を徹底的に言語化する必要があります。そこを完璧にしない限り、審査員との質疑応答には向き合えません。私は審査員だった龍吟の山本征治さんからの「何のために料理をやるの」という質問をきっかけに、「誰かのためになっている実感がもてる仕事がしたい」という想いで料理人を志したことを思い出すことができました。これほど内省を求められる大会はほかにないでしょう。

柿野 同世代の志を同じくする参加者が集うことで、自然発生的に濃密なコミュニケーションが生まれ、そこからさまざまなイノベーションが進むのではないでしょうか? 若い料理人の方々の強みの一つは「新たな発想」だと思います。たとえば、先日、こちらのnôlで食事をさせていただいたとき、野田さんは、厨房の中を案内してくださいましたよね。あれは新鮮な体験でした。

野田 お客さまに「今、何をされているのですか」と聞かれたら、「どうぞ厨房へお入りください」と、調理するところをお見せするようにしています。料理の味わいのみならず、そうした未知なる体験が、お客さまの記憶に残ると思うのです。

老舗店舗と新興店舗が共存する日本橋の魅力

柿野 私が所属する日本橋街づくり推進部の仕事は、日本橋のみなさんとコミュニケーションを図りながら、街づくりをしていくこと。日本橋固有の歴史・伝統を引き継ぐ老舗店舗はもちろん、外部から呼び込んだ新たなプレーヤーとのコミュケーションを通じて、日本橋に新たな価値が生まれることを目指しています。もともと薬の街として栄えた日本橋には、製薬企業が集積しています。そんな歴史的背景を踏まえ、ライフサイエンス領域の企業向けにオフィスを提供したり、交流イベントやカンファレンスを主催するなど、さまざまな場を提供することに注力してきました。最近では宇宙領域のプレーヤー向けの拠点づくりやイベントを開催するなど、領域の拡大を目指しています。もちろん宇宙においても人は食事をしなければなりませんから、宇宙食も重要な要素です。宇宙での健康状態を維持するための栄養面はもちろん、おいしさも充実させたいので、野田さんのような方に参画いただき、より素晴らしい宇宙食の開発に貢献いただく、という未来もあるかもしれません。多彩な側面を持つ日本橋は、東側と西側で雰囲気が異なります。nôlがある馬喰町、つまり日本橋のイーストエリアは、飲食店をはじめとした新たな施設が次々に誕生し、若い方々が集まっている印象です。

野田 たしかに、大人びたウエストエリアの雰囲気とはちがうかもしれませんね。この店のあるDDD HOTELには、レストラン以外にもさまざまな施設があります。上階のカフェは10代の女性のお客さまが多く、週末には行列ができることも。撮影場所としても使われていて、有名モデルを起用して撮影した雑誌が発売になると、すぐに同じ場所で同じポーズの写真を撮る若い人を見かけることもあります。一方、レストランやバー、ギャラリーのお客様の年齢層はやや高めですね。重要なのは、さまざまな年代の方々を魅了するコンテンツを増やし、まずはこの場所に足を運んでもらうこと。そして滞在時間を増やし、この土地の魅力をさらに知ってもらうこと。そうしたことを心がけています。

柿野 滞在時間が長くなれば、街で体験できることも増えますから、その点は重要ですね。多くの方々に日本橋の魅力を伝え、多様な方々が日本橋に集まっていただくことが街の活性化に繋がると思っています。

野田 多彩なお店が、共存共栄できるのが理想ですよね。たとえば、うちでは、ナプキンの代わりに、茶道においてお茶菓子を包んだり、お手拭きにしたりする懐紙(かいし)という紙を使っています。1653(承応2)年、日本橋に創業した小津和紙という老舗の製品です。たとえばレストランに必ずあるナプキンというアイテムひとつを見直すだけで、日本橋に昔からあるお店の方々との新たな繋がりができるわけです。私たちのような新しい店と老舗が協力するケースが増え、街全体がサステナブル(持続可能)な方向に向かえばいいですね。そのために料理人としてどんな貢献ができるかを、常に考えています。

料理に向き合えば自然と見えてくるサステナブルの形

柿野 食のサステナブルという点では、どんなことを考えて実践されていますか?

野田 高級食材ではなく、ナスやトマトなど、みなさんがよく知る食材で、いかに感動を与えられるかということを意識しています。コースの最後には、野菜の端材を乾燥させて保存しておいたものを煮出して塩で味付けしたスープを味わっていただいたり……。たとえば、こうした体験をとおして、何かを考えるきっかけになればうれしいですね。煮出した野菜や生ゴミはコンポストという機械で空気と堆肥に分解して、当店で使う野菜の生産者さんに返す取り組みもしています。

柿野 それはすごいですね! そうした取り組みの積み重ねが、お客さまにも少しずつ伝わり、サステナブルの意識が社会に広がっていくのでしょうね。

野田 とはいえ、その点をことさら意識しているわけではありません。私はただ料理人として当たり前のことをしているだけ。食材やお客さまと真摯に向き合い、食材を丁寧に扱い無駄にせず、感謝の気持ちを忘れない。この姿勢で日々の仕事をしていれば、自ずとサステナブルなスタイルができあがってくるのではないかと考えています。

コロナ禍で生まれた新たなサイクル

柿野 コロナ禍によってオンラインでのコミュニケーションが増えるなか、私は実際に人と会って会話することの大切さを痛感しました。重要な交渉や相談は、やはり直接会って話をしたい。その機会としての会食はとても価値あるものなのですが、コロナ禍ではそれもままならず……。レストランも大変だったのではないですか。

野田 もちろん私もコロナ禍では苦しい想いをしてきましたが、誤解を恐れずにいえば、みなが一度立ち止まり考えるいい機会になった面もあると思っています。これまで内省の時間が不足していたところに、強制的に自分と向き合わざるを得ない機会が訪れた。じっくりと思考したあとに、もう一度周囲を見渡せば、まだまだチャレンジできることがあるとわかりました。たとえば、レストランの臨時休業により料理をしたくてもできない若手料理人たちを集め、コロナ禍で出荷先を失った農家さんの野菜を収穫し、この厨房でパスタソースをつくり、ECサイトで販売してみました。すると、その収益で再び、農家さんの野菜を購入して……というサイクルが生まれました。今もそのサイクルが続いており、現在このパスタソースは上階のカフェで使用されています。これなどはこの場の意義のある使い方だったなと思っています。

柿野 またしても自然と食のサステナブルにつながっていますね。たしかにコロナ禍だからこそできたことはあると思います。たとえば、コロナ禍の2021年3月に開催した「SAKURA FES NIHONBASHI 2021」というイベントでは、歴史ある老舗から新進気鋭の新店まで、日本橋の24もの名店に参画いただき、コース料理型の日本橋らしいニューノーマルなお弁当フォーマット「日本橋宴づつみ」を販売したところ、大変好評をいただきました。レストランでも自宅でも、同じ空間で親しい人と一緒においしいものを食べる体験にはやはり価値があります。

野田 先ほどお話した野菜の煮出したものをお出しすると、以前よりも感銘を受けてくださるお客さまが増えた気がします。こうした取り組みについて説明しているときに、その想いが伝わっているなという手応えがあるのです。

柿野 コロナ禍は、常識を疑い、一歩引いた視点で考えるきっかけになっている面もあるのでしょうね。野田さんのようにサステナブルを意識して活動されている方が評価されるきっかけになるかもしれません。我々もサステナブルな街のあり方の啓蒙活動を通して、日本橋の活性化に取り組んでいければと思います。そのためにはどういった環境整備が必要なのか、食を活用した価値ある街づくりについて、ぜひ野田さんのお知恵を拝借できればと思っています。

野田 はい。もちろんです! 今日はありがとうございました。


三井不動産株式会社 日本橋街づくり推進部
柿野 陽< 1988年、三重県生まれ。大学院卒業後テレビ局へ入社し、番組制作等に携わる。2021年3月、三井不動産株式会社へ中途入社。日本橋街づくり推進部に配属され、同社が推進する「日本橋再生計画」における重点構想「新たな産業の創造」の戦略カテゴリーのひとつである「食」を担当。最近中央区に引越し、週末は日本橋の飲食店を巡っている。 https://www.mitsuifudosan.co.jp

nôl
東京都中央区日本橋馬喰町2丁目 2-1 DDD HOTEL 1F
定休日:火、水
https://nol.jp/
Instagram:@nol.jp

※本記事は、新型コロナウイルス感染拡大防止の対策を講じた上で取材を行いました。撮影時のみマスクを外して撮影を実施しています。

■ RED U-35 2021 ONLINE 特別対談「料理人と企業が手を組み、食の未来のためにできること」

〈第1部〉特別対談 料理とデジタル技術の融合の可能性
米澤 文雄(The Burn)×木村 岳洋(株式会社デジタルフォルン)


〈第2部〉特別対談 日本橋の「歴史」と「食」が融合して生まれる革新
野田 達也(nôl)×柿野 陽(三井不動産株式会社)

〈第3部〉特別対談 人と人とのネットワークで広がる料理人の世界
井上 和豊(szechwan restaurant 陳)×岡﨑 正明(株式会社ジェーシービー)


〈第4部〉特別対談 これまでも、これからも、変わらぬ支え合いを大切に
盛山 貴行(粲 s.l.m)×大谷 和人(ヤマサ醤油株式会社)

プロフィール

野田 達也(nôl ディレクター)

1985年、福岡県生まれ。都内フレンチレストランを経て「Passage 53」(パリ)などのレストランで研鑽を積む。世界各国でシェフやアーティストとのコラボレーションなど多彩な経験を重ねる。フリーランスの料理人として各地で活動する傍ら、「nôl」(日本橋馬喰町)の料理人兼ディレクターを務める。2015年開催のRED U-35 2015、2019年開催のRED U-35 2019において準グランプリ&ゴールドエッグ受賞。

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