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特別対談 これまでも、これからも、変わらぬ支え合いを大切に

盛山 貴行(粲 s.l.m)×大谷 和人(ヤマサ醤油株式会社)

INTERVIEW 2021.11.11

RED U-35 2021 ONLINE 特別対談「料理人と企業が手を組み、食の未来のためにできること」

これまでも、これからも、変わらぬ支え合いを大切に
・盛山 貴行(粲 s.l.m 総料理長)
・大谷 和人(ヤマサ醤油株式会社 営業本部マーケティング部)


日本料理に醤油は欠かせない。『RED U-35 2016』でブロンズエッグを獲得した日本料理人、盛山貴行氏と日本を代表する醤油メーカー、ヤマサ醤油株式会社の大谷和人氏との対話から浮き彫りになったのは、そんな事実だった。東京・六本木で盛山氏が作る和食ベースの東京料理を支えているのは、ヤマサ醤油の変わらぬ味。一方、醤油メーカーにとっても企業が存続するために日本料理人は欠かせぬ存在だ。日本料理人と醤油メーカー……互いに支え合ってきた双方の、これまでとこれからを、語り合ってもらった。

RED U-35が広げる料理人と醤油の可能性

大谷 商品としての醤油の価値とは何だろうと考えると、それは醤油そのものではなく、醤油を使って作る料理なのだと思います。料理の味や香り、色合いなど、さまざまな要素を支えるのが醤油なのです。RED U-35は若手料理人の才能を発掘するコンペティションですから、この大会にサポーターとして参加することは、料理の未来を支えることにつながります。昨今は、日本料理のみならず、フレンチなどでも醤油が使われていますので、料理のジャンルを問わず、若い料理人たちに醤油の可能性を引き出してほしいと思います。ただ、これは本当に正直な気持ちをお話しますが、日本料理人からグランプリがひとりも出ていないことは、個人的には悔しいですね。盛山さんはこの大会にどんな想いで臨んだのですか?

盛山 実はもともと料理を競い合うことに関心がなかったのですが、仲間の料理人たちが参加しているのをみて、年齢制限ぎりぎり35歳になる2016年に出場を決めました。RED U-35は、初めて出場したコンペティションです。エントリーシートには、料理する目的やレシピのコンセプトが明確でないと書けないような項目ばかりが並んでいて、自分を見つめ直すきっかけになりました。ただ、ブロンズエッグ止まりだったので、もっとコンセプトや見せ方を練ればよかったと後悔。その悔しさをバネに、その後いくつかのコンペティションに出場し、貴重な経験を積むことができました。それも、RED U-35のおかげだったと思っています。

大谷 私の会社員生活を振り返ってみても、仕事の能力として35歳は一番脂がのっている時期ですよね。知識と経験、技量がぐんと伸びる時期ですし、体力もまだまだある。知力と体力のバランスがとてもいい。そのバランスを試すという点でも35歳以下という出場資格は、絶妙だと思いますね。

身近なところから始まる食のサステナブル

盛山 このお店は会員制のレストランで、和食をベースにした東京料理を提供しています。昨今は、食のサステナブル(持続可能性)に注目が集まり、料理人が考えなければならないテーマは増えましたが、私の場合は、何よりもまず、おいしいものを作る、という大前提があります。当たり前なのですが、レストランにおいてはおいしい料理があっての、サステナブルだと思うのです。お客さまはなかなか知り得ないと思いますが、業務用のヤマサ醤油といえば、日本料理の世界では、ほとんどのお店が使っている定番中の定番です。私も最初に修行したお店がヤマサ醤油を使っていたので自然と使い始めました。そのころからずっと使い続けているので、その味が体に染み付いています。私のレシピで、出汁10、醤油1の割合とあったら、醤油1はヤマサ醤油1を意味しているといっても過言ではありません。別の醤油では同じ味が出せないのです。もちろん、味に個性を出すために別の醤油を使うことはありますが、土台は常にヤマサ醤油の濃口です。使い続ける理由は、なんといっても、味の安定感ですよね。

大谷 大手メーカーの一番の責務は、一定のクオリティーの醤油を安定して供給することにあると思うのです。味と供給量を安定させること、これが大切です。醤油と同じ醸造物であるワインは、同じ産地でもその年の気候によって味が変化するので、それを逆手にとって、この年は当たり年として売りにするのですが、醤油メーカーがそれをやれば大変なことになってしまいます。私たちは味にブレが出ないよう、常に細心の注意をはらっていますから、味の安定感を評価していただけるのは、とてもうれしいことです。当社は江戸時代の正保2(1645)年に創業して以来、技術の発展とともに製造工程を進化させながら、商品の味はブレないようにしてきました。それが料理人の味を支え続けているという意味で、醤油メーカーにとって、サステナブルの第一歩なのかもしれません。当たり前のことを継続するところから、サステナブルは始まる気がしています。

盛山 たしかに、サステナブルに関する本をいろいろと読んでみて、料理人として当たり前のようにやってきたことと方向性は同じという印象です。食材を使い切る、捨てない、なども含めて、自然に対する感謝の気持ちや敬意はおのずと料理人に備わっているのではないでしょうか。ただ、本を読むことでそうした日々の積み重ねが地球の持続可能性につながっていることを、より意識できるようになりました。まずは自分の店から、ということですね。

大谷 日本をサステナブルに、世界をサステナブルに、と大きく考えてしまうと、難しいことのように思えますが、まずは身近なところからサステナブルにしていくのが大切ですよね。盛山さんも我々も身の回りのできることからやっていく。それができない限り、世界は持続可能にならないですよね。

変化を恐れない「おいしさ」の探究

盛山 おいしい料理を作るという気持ちは今後も変わりませんが、料理人としては変わり続けようと思っています。日本料理の伝統に対するリスペクトはもちろんありますが、日本料理はこうでなければいけない、懐石はこうでなければいけない、と自分で決めてしまわないように常に意識しているのです。その料理がおいしくなるためなら、世界各国の料理の手法を取り入れることも躊躇しません。

大谷 お客さまにおいしいと言ってもらえることに情熱を注ぐところは変わらず、一方で、おいしい料理を作るためなら、変化を恐れないということですね。

盛山 そうですね。そのきっかけは、ニューヨークで料理人をしていたころにあります。たとえば、ニューヨークの人たちは、鮨をトラディショナルか、イノベーティブかで評価しません。すべてはおいしいか否か、好きか嫌いか。とてもシンプルです。最初は何も知らず自分の知識だけが正解だと思っていましたが、現地の料理人の仕事を知るうちに、完成品の仕上がりは異なれどひと皿に込められた料理人の技術力に変わりはないのだと気づけました。文化や調理技術、表現方法の差異に対する先入観を捨てて、「純粋なおいしさ」で評価し、吸収できるようになったと思います。

大谷 それは現地に身を置かなければわからない感覚ですね。ニューヨークという街自体から受けた影響もあるのでは?

盛山 おっしゃるとおり、夢を追いかけてニューヨークに来ていた同世代の日本人との出会いにも多大な影響を受けています。料理人に限らず、ダンサー、ミュージシャン、バーテンダーなど多彩な人びとが仕事終わりに集うバーがあって、そこはちょっとしたコミュニティーになっていたんです。日本屈指の実力者たちが、それまでの実績をすべて捨てて、ニューヨークの地で一からキャリアを積み上げようと日々切磋琢磨していました。常に変化を求める彼らの姿には、とても刺激を受けました。

コロナ禍に思う東京でレストランをやる意義

大谷 決して求めていたわけではありませんが、この数年の大きな変化といえばコロナ禍ですよね。ただでさえ、日本の人口が減少して市場が縮小するなかで、若者がお酒を飲まなくなり、この先10年の飲食業のあり方を考えなければいけないと思っていたときに、コロナ禍を経験しました。飲食店、そしてそれを支える我々のようなメーカーが、向き合わなければいけない、遠い先の未来が突然、目の前にやってきたという感じがします。

盛山 10年後に生き残れるかどうかの問題が、コロナ禍によってまさに今、現実の問題になってしまった側面はたしかにあります。緊急事態宣言が出て、街から人が減っていくのを目の当たりにし、東京でレストランをやる意味を見失いかけた時期もあったのですが、あらためて東京の価値を考え直しているうちに、東京だからこそできることもまだまだあるのではないかと思うようになりました。コロナ禍で時間に余裕が生まれたので、東京近郊の食材や文化に触れるよう心がけた結果ですね。お店では東京近郊の日本酒を20種類ほど揃えていますが、すべて自分の足で訪れた醸造元のお酒ばかりです。自分で見てきたお酒はやはりダイレクトにお客さまに魅力を伝えられます。

大谷 たしかに問屋さんに聞いただけではわからないことが多いですよね。そうした地道な積み重ねで築いた人とのつながりを大切にしていれば、おのずと地産地消が生まれます。やはり先ほどお話したとおり、日々の地道な積み重ねの先にこそ、サステナブルな環境は生まれるはずですよね。

盛山 自分には何年もかけて、東京で培ったものがある。それに、やはり東京は情報が早いですし、集まる食材の種類や質は随一です。そう考えると、ここでもニューヨークで学んだことが生きてきます。ニューヨークと同じように情報も食材もなんでも手に入るのだから、やはり東京でもすべての枠をとっぱらって、料理をしようと思います。コロナ禍を経て社会がどう変わっていくのか、まだまだわからないですが、東京の料理人が東京でしか作れない料理を探究していきます。そしてそれを世界に発信するお店にしていきたいです。そのためにもヤマサ醤油が絶対に必要だと思いますので、これからもよろしくお願いします。

大谷 ありがとうございます! 我々もブレずに頑張ります。

ヤマサ醤油株式会社 営業本部マーケティング部
大谷 和人
ヤマサ醤油株式会社は、RED U-35立ち上げ当初から大会をサポートしており、巨匠から若手シェフへの技の継承や日本の食文化の発展を支援している。
https://www.yamasa.com

粲 s.l.m
東京都(住所非公開、会員制)
https://s-l-m.tokyo
Instagram:@sun_s.l.m

※本記事は、新型コロナウイルス感染拡大防止の対策を講じた上で取材を行いました。撮影時のみマスクを外して撮影を実施しています。

■ RED U-35 2021 ONLINE 特別対談「料理人と企業が手を組み、食の未来のためにできること」

〈第1部〉特別対談 料理とデジタル技術の融合の可能性
米澤 文雄(The Burn)×木村 岳洋(株式会社デジタルフォルン)


〈第2部〉特別対談 日本橋の「歴史」と「食」が融合して生まれる革新
野田 達也(nôl)×柿野 陽(三井不動産株式会社)


〈第3部〉特別対談 人と人とのネットワークで広がる料理人の世界
井上 和豊(szechwan restaurant 陳)×岡﨑 正明(株式会社ジェーシービー)


〈第4部〉特別対談 これまでも、これからも、変わらぬ支え合いを大切に
盛山 貴行(粲 s.l.m)×大谷 和人(ヤマサ醤油株式会社)

プロフィール

盛山 貴行(粲 s.l.m 総料理長)

1981年、東京都生まれ。2000年より都内日本料理店で下積みを経験後、26歳の時に渡米。東京、ニューヨークの数々の名店で研鑽を経て、2015年「東京 金蔦」、2018年「粲 sun」、2021年「粲 s.l.m」(住所非公開、会員制)の総料理長に就任。和の経験を活かした新しいスタイルでレストランメニューの構築や国内外でのイベント、料理監修等で活躍。2016年開催のRED U-35 2016において「ブロンズエッグ」を受賞。

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