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海外組CLUB REDたちへのインタビュー[Part 1]

桂有紀乃 NY/小林珠季 Paris/萩森司 Amsterdam/高野隼輔 Paris

INTERVIEW 2020.08.17

【海外組CLUB REDたちへのインタビュー】Part 1

異国で暮らす料理人に訊く。
「料理人として」&「一人の人間として」いまどう生き抜いていますか?
~若手料理人たちがコロナウイルスの影響でリアルに感じていること、これからのこと~


CLUB REDの強みのひとつは、海外在住の日本人料理人が多数いることです。世界各国で働くシェフたちがいまどう生きているのか、そのリアルな声と視点を集め、共有することにによって、コロナ時代を生き抜くためのヒントを提供できればと思っています。

「日本がこの先、欧米や南米や中国や、どんな状況になるかは誰もわかりません。せっかくCLUB REDのメンバーの中に海外の様々なシチュエーションがあるのだから、地球全体の知恵で助け合えたらいいな、と思います。私自身も、世界中のシェフたちがリアルにどう生きているのかヒントがすごく欲しいです」

という、NY在住の料理人・桂有紀乃さんからの提案をもとに、世界各地にいるCLUB REDメンバーにお声がけして本インタビューは実施しています。

料理関係の方も、それ以外の方々も、若手料理人たちがそれぞれの環境下で感じた声に、ぜひ耳を傾けてみてください。

 
■ 桂 有紀乃|Yukino Katura(NY)

名前:桂 有紀乃
在住:アメリカ合衆国 ニューヨーク市
所属:Bouley Test Kitchen
役職:シェフ/メニュー研究開発チーフ
年齢:35歳
回答日:2020年8月9日

――アナタの暮らす国・地域はどこですか? 最近はどんな日々を送っていますか?

アメリカ合衆国、ニューヨーク市で暮らしています。ニューヨークの店が工事中なので、出勤する必要がしばらくなくなり6月頭から現在は、隣州の山の中で暮らしています。

毎日、6時間くらいを机でフードリサーチと栄養学の勉強。新店舗用の資料作り。それ以外の時間は、森を散歩したり、ギターを弾いて歌ってレコーディングをしたり、絵を描いたり、生活を共にしているオーナーシェフたちと美味しい料理を作って食べたりして過ごしています。

――いまのアナタの仕事とは? それはどのような打撃を受けていますか?

コロナ前は、現場のシェフ兼メニュー研究開発シェフとして、マンハッタンのミッドタウンにある2種類の施設で勤務をしていました。1つは、「Bouley at Home」。オーナーシェフDavid Bouleyの最新の料理を提供するフレンチレストラン。もう1つは、フードイベントスペース「Bouley Test Kitchen」。プライベートパーティー会場としてのほか、世界中から医師や科学者をゲストに招き、シェフの料理とコラボレーションをする「The Chef & the Doctor Lecture Series -Since 2013-」という食と健康の普及を長年にわたり培ってきたイベントの施設です。

未来に向けてニューヨークでこれからやるべきことは、「Bouley Test Kitchen」の取り組みだと判断。3月中旬のニューヨーク市ロックダウンから両施設は休業に入り、ミッドタウンからロウアーマンハッタンのトライベッカ地区に引っ越して新店舗を開業する予定です。この新店舗はレストランとしての機能を持たせることは現状では考えておらず、広義での、食べることと美味しさと健康の結びつきを発信するテストキッチンになります。

新店舗プロジェクトでは、今まで以上に栄養学に基づくクリエーション能力が必要となります。しかもそれを、お皿に乗った料理だけでなく様々な媒体で人々に届ける必要があります。今の私の仕事は、オーナーシェフDavid Bouleyと日々綿密に意見を交わしながら今までBouleyレストランが築いてきたものを整理して、新章に向けて必要な知識と技能をもぐもぐ収集することです。
【新店舗の詳細】https://davidbouley.com/bouley-events/

コロナ前から毎日、明日はどうなるかわからないと思いながら働いていたので、正直、打撃は感じません。新章も無事幕が上がるかはわかりませんが(身も蓋もないこと言ってすみませんっ)、可も不可も全力で楽しんでいきたいなと思います。

――「料理人として」どうやって生き抜いていますか?

料理人であることに拘っていません。料理でも料理じゃなくても、自分が出来ることがあればやるだけで料理を作って誰かに喜んでもらえている時は、その人に料理人にしてもらっているのだと思います。毎日なにかしら入れたり出したり、出来ることがある気がするので料理であれ、料理とは離れているようなことであれ、面白そうなこととか、ちょっと面倒くさそうなこと、何でもやっています。

――「一人の人間として」どうやって生き抜いていますか?

アメリカのウイルス感染は深刻な状況が続いているので、健康な体を維持することを最優先しています。オーナーシェフをはじめ、身近に強い体と心を持つ大人がたくさんいるので、甘えたり見習ったりしながら心身レベル上げの真っ最中です。

ニューヨーク州の感染のピーク時は、知人・友人たちも感染して闘病していました。「自分も、明日発症して命の危機がくるかもなぁ」と少し不安になる日々もありましたが、そんな時は、ファンタジーな日本の漫画を読んでから眠りにつくとメンタル面は大丈夫になっていったので、おすすめです。(効果に個人差有り)

――アナタの暮らす国・地域の対応や人々の行動を見て、感じたことを教えてください

人と人とが丁寧にかかわり合おうとし始めていると感じます。日常的な“挨拶”であった「How are you?」が、お互いの心身の状態に寄り添うための“対話”に変わったような。

――料理人は、今後どう変わっていくべきだと思いますか?

料理へのエゴを、やんわりと捨て去っていけたら素敵だなと思います。あと、ニューヨークから何かできることがあったら連絡ください。

――コロナが落ち着いたらやりたいこと、挑戦してみたいことは?

【コロナが落ち着いたらやりたいこと】 日本に家族がいるので、飛行機で自由に行き来出来るようになったら会いたいなぁと思います。そして、井上和豊シェフのトンポーローを食べに行きたいです。

【挑戦してみたいこと】 外出制限期間中、人生で一番たくさん漫画を読んでいました。日本漫画の世界観の料理を作って、キャラクターの心身の強さに潜む食の力を学ぶことが出来るイベントを開催してみたいです。日本でも海外でもやりたいです。何歳からでも始められる楽しい食育のきっかけになりたいです。

 
■ 小林 珠季|Tamaki Kobayashi(Paris)

名前:小林 珠季
在住:フランス パリ
所属:無所属
年齢:34歳
回答日:2020年8月10日

――アナタの暮らす国・地域はどこですか? 最近はどんな日々を送っていますか?

フランス パリです。3月半ばからの二ヶ月半の隔離期間を経て5月12日から普段の生活に近い生活が送れるよになりました。とは言え、今までの生活にはなかった規制が加わり以前と全く同じ生活には戻らないのではないかと思います。

マスクをする習慣がなかった国ですからマスクも場所や場合によっては義務となり、守らなければ罰金が科せられるようになりました。以前は、こまめに消毒する習慣も日常生活では見たことがありませんでしたが、今は消毒ジェルが街のいたるところに設置されレストランやスーパーなどでも入店の際に手の消毒を促されるようになりました。

それでも感染者はフランス全土で毎日増加しています。加えて心配なことは現在フランスではいろんな地域でバカンス時期になっており、多くのパリ市民も7月上旬からいろんなところにバカンスに出発しています。バカンス中に色んな場所で感染した人がパリに戻って来るということも考えられますし、逆に感染した状態で地方に出かけてしまうケースもあるかもしれません。場合によってはバカンス明けの9月からの生活が隔離期間の生活よりも困難なものになるのではないかと心配もしています。

――いまのアナタの仕事とは? それはどのような打撃を受けていますか?

私は、お惣菜やシャルキュトリーを専門に扱っているお店で働いていましたので、レストランやバーなどに比べれば殆ど打撃と言えるほどのものはありませんでした。しかし会社の意向で隔離期間中は自主的に一時営業停止していましたし、隔離期間が明けてからは衛生管理は今まで以上に厳しくなりました。

――「料理人として」どうやって生き抜いていますか?

今回の隔離期間では考えさせることが多くありました。
食事は生きていく上で全ての人にとって大切なことですが、今回のような特殊なケースではレストランでの食事は必要不可欠なものから対角線情報に位置するようになりましたし、多くの人が自宅での食事をいかに楽しい物にするか考え始めました。こんな状況に置いて料理人は今までとは全く別の行動が必要になると実感させられました。今後このような状況で料理人としてできることを色んな視点から模索し早めの行動をとることが必要だと思い、今まで知らなかった分野について調べたり、他の料理人の対策などを情報収集したりするようになりました。

――「一人の人間として」どうやって生き抜いていますか?

今は世界中どこも大変な状況だとおもいます。日々新しく入って来る情報や、過熱報道に左右され過ぎて悲観的になってしまってはいけないと思うので、自分にできる限りのことやりながらできるだけ明るい気持ちで過ごすように心がけています。

――アナタの暮らす国・地域の対応や人々の行動を見て、感じたことを教えてください

衛生観念に関しては日本とかなりの差がある国なので、正直、僅か2ヶ月ほどでここまでフランス人の意識がいい意味で変わったことに驚きました。皆んなマスクや消毒をしたり、公共交通機関を使う人もかなり減っていますし、人によっては混雑時を避けて行動する人もいます。

――料理人は、今後どう変わっていくべきだと思いますか?

今回の新型コロナウイルスは一つのきっかけだったと感じますが、この件がなかったとしても、変化していくことは大切だと思います。状況が日々変化する時代だからこそ多様化するニーズに応えられるよう異なる分野や形態の業界の人達と繋がり協力していくことが今まで以上に重要になってくると思います。

 
■ 萩森 司|Tsukasa Hagimori(Amsterdam)

名前:萩森 司
在住:オランダ アムステルダム(オランダの人口約1730万人 ※東京都約1400万人) 
所属:ホテルオークラ アムステルダム
役職:副料理長
年齢:33歳
回答日:2020年8月12日

――アナタの暮らす国・地域はどこですか? 最近はどんな日々を送っていますか?

6月1日にロックダウンが解除され約2ヶ月半が過ぎ、一時は1300人ほどいた感染者も6月、7月中頃までは100人前後まで減っていました。だが、最近は人々の活動が活発になった事で400、500と連日増えてきています。

ロックダウン中は全土のレストラン、カフェが営業停止してましたが、解除後はレストラン、キッチン内の人数制限(ソーシャルディスタンス1.5mを確保)マスク着用などのルールに沿って営業しないといけないため営業時間、二回転制など以前とは異なる営業体制になりました。また、サービススタッフがなるべく少ない回数でお客様に料理提供、説明できるように工夫もこらしています。

生活の方も交通機関内でのマスク着用や、スーパー内の人数制限、お店に入るときはアルコール消毒などの対策が行われています。

――いまのアナタの仕事とは? それはどのような打撃を受けていますか?

料理は勿論ですが、日本から輸入する食材オーダー、業者との連絡など。航空の減便などで入荷が難しくなる食材、輸入時の品質低下が増えている。日本でも和牛や、各食材の消費が低迷し、価格が下がる一方で、災害により価格の高騰する食材もあると聞く。価格が下がるものはなるべく以前の値段で、高騰するものも出来るだけ購入するようにしている。遠く離れていても生産者さんや、業者さんの力になれればと思う。

また各スタッフもコロナ以前と、後では将来に対する夢や、不安も変わってくるだろう。個々に面談をしてスタッフ1人1人に沿った指導ができるようにしたい。

――「料理人として」どうやって生き抜いていますか?

歴史的にみてもコレラ、ペスト、スペイン風邪など、これまでに疫病は世界で流行してきたが人々は集まり、社会は発展し今に至る。そして、その上に今までのレストランや、ホテル、飲食業の構造ができているし、勿論、短期的に見れば皆厳しい状況だが、長期的に考えると人々はこれまでの様に教訓は得るが、意識は徐々に薄れて生活の便利さ、豊かさを優先すると思う。国の対策、国民性などで差はあるだろうが、人々は以前の生活に戻ると思う。僕たちの仕事は無くならないと思っているのでやる事は変わらないと思う。

ただ今は「このレストランだからコロナ対策はしっかりしている。安全、安心」と思って来店されるお客様もいると思うので、仕事は勿論、私生活でのリスクは減らすようにしていきたい。

また飲食業界のゆっくり進んでいたデジタル化はコロナがより促進させたように思うのでそれに伴って知識や、技術も習得していきたい。

――「一人の人間として」どうやって生き抜いていますか?

各国の失業者が増えれば、自ずと海外労働者のビザは更新されなくなると思うので自分もいつまでオランダで料理できるかわからない。現に国は違うが僕の友人も海外で仕事できなくなりやむなく帰国した。今後も何が起こるか分からないので常に柔軟に対応、生活できる様にしていきたい。

また、約3ヶ月の自宅待機中に地元の愛媛新聞への投稿を始めた。料理と何の関係が?と思うが、料理以前に1人の人間として“今何ができるのか”立ち止まって考えるいいタイミングではなかろうか。そして始めて気づいた事がある。それは『料理』も『文字』も人々をハッピーに出来るという事だ。

――アナタの暮らす国・地域の対応や人々の行動を見て、感じたことを教えてください

コロナが蔓延する当初はアジア人に対する差別的な態度、発言が僕の周り、スタッフにもあったと聞いてたので、外出するのが正直怖かった。

街中のレストランを見ても以前はどのレストランも適度に客が入っていたが、コロナ後は“客が入る店”と“客が入らない店”がよりハッキリと別れた様に見える。今後は【コロナでも行きたい店】というのが一つのテーマだと思う。

これまではお客様は【一つの空間を皆で楽しみ、分かち合う】事ができたが、これからは料理、サービスを“個々”で楽しみ、後で写真や、投稿等のオンライン上で【同じ経験を分かち合う】という流れが支流になると思う。それに対応する様な料理、サービスも今後考えないといけない。

――料理人は、今後どう変わっていくべきだと思いますか?

料理が<時代を写す鏡>であり、我々が「人々の幸せのため」に料理を作り続けるならば無理に変わろうとする必要は無い。ただ常に目を見開き、世界に関心を持たなければ「人々の幸せのあり方」も時代とともに変わるので、対応できない。

――コロナが落ち着いたらやりたいこと、挑戦してみたいことは?

今自分が住んでいる環境、仕事、立場が地元愛媛にどう貢献できるか。今は愛媛と、オランダの距離、時間のギャップに加えコロナで行動できないので、今後は行動に移したい。

 
■ 高野 隼輔|Shunsuke Takano(Paris)

名前:高野 隼輔
在住:フランス パリ 
所属:chambre noire(自然派ワインバー)
役職:シェフ
年齢:33歳
回答日:2020年8月12日

――アナタの暮らす国・地域はどこですか? 最近はどんな日々を送っていますか?

フランス、パリ。制限が多々あり、今までと同じ生活は難しいですがその中で何事もポジティブに捉えとにかく前向きに楽しめるよう努めています。

――いまのアナタの仕事とは? それはどのような打撃を受けていますか?

ワインバーでシェフをしています。期間限定で本来テラス席がない店も公共スペース(路上駐車場、一部歩道)を使用する事が国から許可されています。その為店内人数が限られてしまう分を、テラス席で補える用になってきています。とは言っても、通常の8割ぐらいがマックスでしょうか。

――「料理人として」どうやって生き抜いていますか?

厳しい外出禁止制限があったお陰で、ただ店に働きに行くだけでは駄目だという事に気づく事が出来ました。なので、今は何か自ら発信出来る事は無いか模索中です。

――「一人の人間として」どうやって生き抜いていますか?

家族がいるので、家族の為に。家族全員ウイルス予防規制はしっかり守りながら、楽しみを見つけています。一緒にいる時間で、子供とパンやお菓子を作ったり家で出来る事や普段やらない事してみたりと、制限がありながらも最大限楽しく有意義な時間を過ごしています。

――アナタの暮らす国・地域の対応や人々の行動を見て、感じたことを教えてください

フランスでは公共の場所でマスクを着けてないと高額の罰金制度があります。また、スーパーやマルシェの売り場にビニールが張られ食材を直接触ることが出来なかったりと、ウイルス予防は厳しく規制しています。更に2週間ごとに最新状況に応じて規制見直し強化が計られています。良くも悪くも国の対応の速さや保証範囲の柔軟さには助けられた反面、罰金制度の厳しさには驚いています。

――料理人は、今後どう変わっていくべきだと思いますか?

自分は今何をしているか、またやりたい事など世の中に大いに発信していく事が重要だと感じました。自分の職場プラス、何か個人の行動力、魅力が必要になってくるのではないかと思います。

――コロナが落ち着いたらやりたいこと、挑戦してみたいことは?

料理を通して人が集まり、楽しめる場所を作りたい。それと並行しオンラインを活用し様々な事を発信していきたいです。

 
▶︎ 海外組CLUB REDたちへのインタビュー[Part 2]はこちら

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